気付けば人生、沼だらけ。

サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた日々の雑記、のはずが他にも扉を開き中。

そうだ、今日は「くるぶし」について考えてみよう。

思い起こせばあれはそう・・前回のブログを更新した翌日のことでした。

いつものごとく、「中丸君のくるぶし」がいかに素敵かという話をTwitterでしていたところ、謎の「くるぶし・こんにちわ」アカウントにフォローをされたのです。

どこかの若者が「くるぶし」についてのアカウントを運営していることにもツボってしまったので、「いつか『くるぶし』いついてのブログを書く!!」と宣言したのです。

 

それから早数か月・・。忘れていませんよ、その約束!

 

ということで、本日はくるぶしについて少しだけ考えてみようじゃありませんか(笑)

 

このブログを書いている3月現在、「中丸のページ」にて「中丸君の隠れた魅力」を募集しているわけですが、おそらく「くるぶし」の魅力を全力全開250文字で送っている方々、半端ない人数だと思われる。

(*そのまま放置すること1か月・・すいません。もう4月ですw)

 

この春は世界のユニクロまでが、

 

「くるぶし出していきましょう!」

 

などど言い出してるし、世の中にいま空前絶後の「くるぶしブーム」が到来していること間違いなし!

ヤバい!ヤバい!・・と一人興奮気味なわけであります。

 

人はなぜそこまで、「くるぶし」に魅かれるのか・・・。

そして世の中に溢れかえるくるぶしの中でも、なぜ中丸君のくるぶしがそこまで私を魅了するのか・・・。

考えだすと夜も眠れないこの頃。

 

 

今でこそ狂ったように「くるぶし・・」「くるぶし・・」と呟いている私ですが、もともと「くるぶし」への偏愛の自覚はなく、漠然と「手首・足首が細い人が好き」という感じでありました。

 

思い起こすとめちゃめちゃハマっていた訳ではないのですが、20代の頃の永瀬正敏ケイゾク渡部篤郎、そして高校教師2の藤木直人、そのあたりが好きだったのはなんとなく憶えてます。

細身のパンツから細い足首が出ていて、なおかつ背中は男らしい、というタイプですね。

ケイゾク、たしか白靴下履いてる回なかったかな・・。(確認してから書けよ、ですね)

あと藤木直人が高校教師2でプールサイドでパンツとシャツの袖をまくって、数式解いてる回があるはずなんですが、それ当時床を転げまわる程興奮しながら何回も繰り返し見た覚えがあります。

今、思い出してもあの時の私の興奮度は異常です・・・。

 

当時は、

「なんかかっこいい!!なんかイイ!!!」

と叫んでいたのですが、いま思い起こすとたぶんあれ「くるぶし」に興奮してたんですね・・。

 

 

さて、自分の「くるぶし」興奮歴を再確認したところで、なぜその中でも「中丸君のくるぶし」が最強なのかについて考えなくてはなりません。

約1年間ジャニヲタと呼ばれる皆様をそっと見てまいりましたが、その中でも中丸担の「パーツ好き」際立っていませんか?

もちろん他担さんの「腕の血管フェチ」や「首筋好き」などなど、全体的に異常は異常なのですが(失礼)、中丸担の各パーツへの愛はかなり重めな印象です。

 

私の中で中丸君は丸みと研ぎ澄まされたシャープさが混在する存在・・・。

後頭部の丸みとエラのあたりのシャープさ、猫背の丸みと広い肩幅、食べ過ぎるとポッコリするお腹と腰骨のシャープさ、そしてたまに内股になったりする足元とくるぶしの骨のシャープさ・・・

 

丸み=かわいい、シャープ=かっこいい。

その相反する2つを絶妙なバランスでもつのが中丸君。

 

「バランスとギャップの極致」、もはや「神」レベルです。

 

中丸君の各種パーツに理性を奪われる自分ですが、その中でもくるぶしに何を感じるかというと

「男らしさと、清潔感と、そこはかとなく漂うエロス」

にこの3つに尽きます。

 

くるぶしは骨なので一般的にはコツコツしているものですが、なんつーか骨の中でも「くるぶし」って潔い感じあるよね?

だってさ、絶対あんな出っ張りどっかにぶつかるじゃん?

 

でも、

 

「ぶつけるリスクとか関係ねーし。ぶつかろうが、出っ張るし!」

 

みたいな存在感出してきてるんですよね。

特に中丸君の場合、足まわりの肉付き薄いじゃないですか?

だから、こう「俺は肉に守られません。でも出っ張ります。」という感じ強めですよね。中丸君のくるぶしのこと、私は武士だと思っている。

 

そして清潔感。肌色ですが私の脳内ではほぼ骨として再生されています。

真っ白です、くるぶし。

骨粗鬆症とは無縁の適度な密感を持った骨だけが持つ白さを備え、洗いざらしのシャツのようなパリッと感を持っている。

部屋干しでなく、太陽を浴びて育ったくるぶし、それが中丸君のくるぶしです。

 

そしてエロス。

たぶん骨として考えているので、「何も纏わないエロス」なのかなと思っていたのですが、先週エロスの正体を知りました。

 

会社のですね、新入社員への服装講座を見守っている時に講師の方が言ったんですよ。

 

「男性社員はYシャツの袖はスーツの丈より長くして、手のくるぶしを隠すように。

 あともちろん靴下は長いものを履いてください。くるぶしや肌が見えるのは言語道断です。

 もともと手首足首隠れている部分を見せるのは、『愛する家族の前だけ』なんです」

 

 

・・・(静止)

『愛する家族の前だけ』!!!!!!!!

 

・・・雷に打たれた気持ちで、思わず干支一回り以上下の若者がビビる勢いで立ち上がるとこでした、ハイ。

 

そう、「愛する家族の前だけ」しか見せない「くるぶし」・・。

本当なら見ることができない「くるぶし」・・。

それを見ることができる・・。なんという僥倖・・。

 

普段露出をしない中丸君がたまに見せてくれる、誘惑の扉・・・それが「くるぶし」。

 

私がこんなにも中丸君の「くるぶし」に執着する理由がやっと見えた気がします。

 

もし今日まで中丸君のくるぶしの魅力に気づいていなかったアナタ・・・。

ぜひとも中丸君のくるぶしをじっくり見てみてください。

もし「くるぶし」を見てドキドキが止まらなくなったとき、新たな扉が開くことを約束致します。

 

 

最後に中丸君。

・・・・発掘部250文字では足りないので、2500字にしてください。

よろしくお願いします。

 

 

2016年を振り返ろうか・・・。

2016年が終わろうとしている。

 

今日はそんな2016年をゆっくり振り返ろう・・としていたのに、まさかのウォークマンが壊れ、サザン数100曲とKAT-TUNの全曲のデータが飛ぶという事態にいま茫然自失の状況であります。

とんだ年末だよ・・・。

 

2016年、皆さんにとってはどんな一年でしたか?

恐らく「良い年だった!!」という人は私の周りでは少ないかもしれませんね・・。

 

でも私にとって2016年は「良い年」でした。

KAT-TUNを知って、初めてジャニーズのコンサートに行き、Twitterを始めてたくさんの友達に恵まれ、ブログを始めて気持ちを吐き出す場所を得ました。

それが私にとっての2016年です。

 

 

思い起こせば去年の今頃、例のカウコン総集編をテレビで見たんだよなぁ‥。

 KAT-TUN沼への1歩を踏み出したあの日のことは過去ブログにも書かせてもらいましたが、あの日から早くも1年ですか・・。

 

pepeka.hatenablog.com

 

 

実は当時、私は結構などん底におりました。

どん底の始まりは12月の初め。

歩いて10分の実家に住む姉から 便箋5枚にわたる手紙が送られてきたことから始まりました。

 

そこに書いてあったのは

 

ー 胃の調子が悪く、胃カメラのついでに大腸カメラも受けました。

  ガンが見つかりました。その場では取れない大きさだったので入院します。

  遺伝性の可能性が高いから、すぐに〇〇ちゃんも検査を受けてください。  -

 

実はその前の11月の健康診断で私自身も便潜血検査を受けてひっかかっていました。

 

「あ、こりゃいかんな・・。とりあえずカメラを受けなきゃ・・」

となり、12月に私も大腸検査を受けました。

 

私自身のこともありましたが、まずは姉を安心させるために急いで受けたのが一番大きな理由です。

 

結果は・・・、

ガンが見つかりました。

姉と同じところにできた初期ガンでした。

しかしまぁポリープにガンが含まれるという程度で、腸の壁には達しておらず、その場では無理でしたが、2日の入院で内視鏡でとれるモノだということで、出張の無い1月の終わりにとることになったのです。

 

自分の結果はそうでしたが、私より3歳上の姉の状態は深刻でした。

 

腸のガンそのものは腸を切ってしまえばいいのですが、姉は肝臓にガンが転移していました。その数は10個以上。

腸から肝臓への転移は場所が近いため頻繁に起きるらしく、また肝臓は切ってもまた自分で大きくなる機能があるので、通常は腸と肝臓を切って対処する形です。

 

しかし、姉の肝臓がんは小さいものが点々と、そして肝臓の大事な血管のすぐそばに大きいガンがかぶさっていました。

そのままでは手術ができない・・。その話を聞いたのが12月20日でした。

病院は次の週から休みに入るところでしたが、できるだけ早く抗がん剤を投与して少しでもガンを小さくして、手術ができるところまで持ち込もうというのが治療方針でした。

クリスマスイブの日にCVポートという抗がん剤の治療の為の手術を行い、姉の闘いは始まりました。

 

手帳を見てみると、

去年の12月のスケジュールは姉と私の病院の予定でいっぱいです。

妹だからこそできることをしなければと、抗がん剤の治療が始まる前に一緒に医療ウィッグのオーダーをしに行ったり、買い物をしてきたりと出不精な私がほぼ休みを埋めて動いていました。

 

 

 

そんな年末、病院が休みの機関に入り一旦治療がお休みになったところでたまたま見たのが、カウコンの総集編でした。

 

その恐ろしく華やかなアイドルの集まりは、私にとって一瞬なにもかもを忘れられる時間でした。

 少しでも時間が空くと病気のことを調べたり、考えたり、当時の私には他の事がほとんど見えていなかったのに、その総集編での松潤と亀梨君を見たときに、単純にその映像を楽しめたのです。

その後、私はそれまで続けていた闘病中の方のブログを読むことをやめ、KAT-TUNに関するブログを読み漁る日々に突入しました。

 

私自身はもともとテレビっ子でしたし、本や映画を見ることも好きです。

でもテレビや本は不意に病気で亡くなる方や、重い話を聞いてしまうこともあります。

それが怖かった。その瞬間、どんと暗いところへ落とされた気持ちになったものです。

 

 

けれど、KAT-TUNファンのブログ、特にコンサートレポはほんと楽しいことしか書いてなかった。ほんわかした気持ちで読むことができました。

 

本当はその頃KAT-TUNファンの皆さんは同じようにどん底にいたのだと、今の私にはわかるのですが、その頃はまだTwitterをやっていなかったのでそこまで皆さんの痛みをリアルタイムで感じてはいなかったのです。

もし当時Twitterをやっていたなら、逆にしんどくなってKAT-TUNのことからは離れていたかもしれません。

 

 その後姉は3月まで入退院を繰り返しながら抗ガン剤を頑張り、3月28日12時間に及ぶ手術を無事に終えました。

今も再発防止のために抗がん剤の治療は続いていますが、基本的には元気になり楽しく毎日を過ごしています。

 

ちょうどKAT-TUNが一番苦しんだであろう11月終わりから3月、それは私にとっても忘れられない4か月です。

 

「アイドルが心の支え」「アイドルの存在に助けられた」という言葉を素直に口に出すほど、乙女では無い自分ですが、本も読めずテレビを見るのもしんどいあの時期に、確かにそばにあったのはファンの皆さんのブログであり、KAT-TUNの存在であったと思います。

 

手術後まだ状態が不安定な頃は、DVDやCDを探しひたすらそれを観ました。

そして姉の退院が決まった次の週に、私はドームコンサートに行きたいなと思えたのです。

だからこそ、私にとってあのコンサートはより大切な思い出になっているのかもしれません。

 

その後、Twitterを始めたくさんの友達に恵まれました。

その中にはあの頃の私と同じように、家族や自分自身の病気の不安を抱えている人もいると思います。

 

そんな人にすこしでも気楽に笑ってもらえるようなことを、提供できる自分でいたいなと思います。

 

笑いはどんな時も少しだけ、気持ちほぐしてくれると信じているし、

きつい時にはそこから目を背けることも必要で、でも背けた先にあるものはあったかいものであって欲しいのです。

 

自分にできることはあまりないかもしれませんが、なにか、あったかいなぁと思ってもらえるように、来年も過ごしていければなぁと思います。

 

 

・・・と、2016年の締めくくりは少しだけ湿った話になってしまいましたが、来年も基本的にはふざけつつ皆とKAT-TUNの復活を笑いながら待ちたい所存で御座います。

 

来年もぜひ温かい目で、よろしくお付き合い下さいませ。

皆様の2017年が幸せになりますように・・。

 

                          2016.12.31 

 

 

 

 

「エッチとエロと変態と。」

 

さて、先日の予告通り今回は振り幅大きくいこうじゃないか!

 

それにしてもスゴイ題名だな…。

ほんとはなんだろ、

「空と海と太陽と。」

くらい爽やかにいきたいとこだったのですが……。

 

前回まで「出番さん愛」を綴っていた次にコレってどうなの・・と、思わなくもないのですが随分前からこれについては書かねばなぁと思っていた次第でして。(笑)

 

 

以前のブログにも書いてますが中丸君がファンを「やや変態」と公認したこともあり、自分はTwitterを始める時からプロフに「変態」を入れて活動をしていたのですが、そんなある日Twitterさんとの他愛のない会話の中で質問を受けたのですね。

 

たしかその時は中丸君の足首等々について話していたと思うのですが

 

「ぺーちゃんってエッチなのーー??」

 

とフォロワーさんに聞かれ、

「いや、エッチというよりエロ寄りかな。」

と返したのですが、

 

「なにが違うの??」と・・・。

 

 

・・・うん。何が違うのだろう。

その時は考え得る精一杯の返事をしたのですが、それからずっと考えていました。

なにが違うのだろうって。

私は自分自身を表すのに「エッチ」という単語はまず使いません。

で、もって「エロ」も正直しっくりこない。しかし「変態」はあまり違和感なし。

ではどこに違和感を感じ、どこにしっくりきているのか・・。

 

これは一度掘り下げる必要があるのではないか??

 

と、いうわけで今回のブログを書くに至ったわけです。

正直KAT-TUNの話と関係ないです(笑)

なので、KAT-TUNに関してのエロなどを期待した皆さん、ごめんなさいね。

 

さて「エッチ」と「エロ」と「変態」問題を考えるうえで、まずはその正しい定義を知る必要がありますよね。

とりあえず辞書をひいてみよう。

 

 

【エッチ】

  1. [名・形動]《「変態」のローマ字書きhentaiの頭文字からという。「H」とも書く》
  1. 言動が性的にあらわで、いやらしいこと。また、そのさま。
  2. 「ちょっと―な話」
  1. 俗に、性行為。性交。               出典:デジタル大辞泉

 

 

【エロ】

  1. [名・形動]
  1. 《「エロチシズム」「エロチック」の略》エロチックであること。
  2.   わいせつなこと。また、そのさま。「―な話」「―本」
  1. (他の語の上について)好色であること。いやらしいこと。また、そのさま。「―おやじ」                 出典:デジタル大辞泉

 

 

 


 
         

 フムフム。「エッチ」って「hentai」の頭文字なんですって!知っていましたか??

注目すべきはやはり「エッチ」の何とも言えない軽さね。例文にそれが表れていますね?

 

「ちょっと - な話。」

 

そう、この「ちょっと」が超重要。

「ちょっとエロな話」ではなく、「ちょっとエッチな話」・・。

うん、なんかライト!とってもライト!

そう!「エッチ」ってライトなんですね。爽やかな風さえ吹きそう、「エッチ」!

 

では「エロ」は?・・・

 

「わいせつであること」

 

ハイ、きた「わいせつ」。

最早、犯罪めいた香りすらする「わいせつ」。

更に「好色であること」・・・なんかヌメッと感ありますね・・。

重ねて例文、

 

「 - 親父」。

 

もうハゲの腹出た親父があなたの脳裏に浮かんだことでしょう。

爽やかな風、吹いてません。なんか湿度もたっぷりの生暖かーい風が吹きそうです。

 

ちなみに補足すると、「エロチック」は下記の通りです。

 

 
エロチック【erotic】
  1. [形動]性的な欲望をそそるさま。また、色気があるさま。肉感的。「―な姿態」「―な描写」

 

 

うん。

 

「肉感的」まで出てきてしまいましたね。

 

なんか生々しい・・(笑)

こうやって考えると「エッチ」と「エロ」はけっこうわかりやすい違いがあると言えますね。

 

なんつーか湿度的な違い(笑)

 それから「生々しさ」の違い。 

 

そして個人的に加えるなら、「エッチ」ってなんか対象がいる印象なんですよね。

 

例えば 

 

「もー!〇〇君のエッチーー♡!」

 

 みたいな。あるいは、 

 

「ねぇ、エッチしよ♡??」 

 

みたいな。相手がいるイメージ。

 

・・・青春ですな。

決してその場面は描写しない少女漫画みたいですね。 

 

対して、「エロ」は・・・ 

 

「うっわ!エロ!!wwww」 

 

「なんつーか、ドエロい!!ww」 

 

見えますか?あなたの目には・・

散らかった部屋に転がって、独り言を言う女子の姿が・・・。

もう「ww」をつけずにはいられないレベルで、その子はニヤついていることでしょう。

 

 そう、「エロ」は「相手」を必要としない、正に「個の戯れ」なのです。

 

 

思う存分、一人で騒げ?と思うわけです。 

なので、「アイドル」に関しては「エロ」であるべき!という想いが、フォロワーさんに対しての「エッチではなく、エロ寄り」という私の発言に繋がったのでしょうね。 

 

「エッチ」と「エロ」に関してはなんとなくわかってきたところで、さらに「エロ」より「変態」の方がしっくりくるという感覚について考えましょう。 

 

 

へん‐たい【変態】

  1. [名](スル)
  1. 形や状態を変えること。また、その形や状態。
  1. 普通の状態と違うこと。異常な、または病的な状態。
    • 「お品は身体に―を来したことを」〈長塚
  1. 性的倒錯があって、性行動が普通とは変わっている状態。変態性欲。
  1. 動物で、幼生から成体になる過程で形態を変えること。おたまじゃくしがカエルに、蛹 (さなぎ)がチョウになるなど。    
  2.                           出典 デジタル大辞泉

 

 

「変態」一気に説明増えましたね。
ほんとは「6」までありましたが、とりあえず割愛。

「普通の状態と違うこと。異常な、病的な状態」

ヤバいですね、変態(笑)
そうか・・辞書の感じでいくとこんな感じになるのですね・・。うーーん。でも考えると、

「中丸君のくるぶしの骨を人差し指でコツコツしたい」

という欲求は、「普通の状態とは違う」よな・・。
例えばね、アイドル相手に「チューしたい」感情は「エッチ」だと思うんです。
で、アイドル相手に「✖✖したい」感情は恐らく「エロ」なのでしょう。
そして自分はそのどちらも思わないのですよ。
そういうリアルな妄想をもつことがない(笑)
思うのは「くるぶしの骨をコツコツしたいなー」とか「寝ている姿をちょっと隠し撮りしてテレビで映してくれないかなー」とか「ちょっと腕挙げた拍子に、お腹チラ見えしないかな」とか・・。
 
うん「エッチ」でも「エロ」でもないね。
そして「普通の状態」でもないですね・・。
中丸君を見て「デヘヘ」とはなりますが、「そういう」対象として見ておらず、なおかつ「普通の状態」ではない。これが私が「変態」が一番しっくりくる理由なのですね。めちゃめちゃしっくりきた(笑)
 
あと加えるなら「エロ」がもつ湿度ね。あれが実は中丸君を見てる時にはないんですよ。脂っこさみたいなものね。
なんつーか「中学生男子」感覚で「アイドル・中丸君」を見ています。

「あの可愛い女子のパンチら見たい!!風よ!!吹け!!」

みたいな感じ(笑)
うん、そう思うと「変態」には青春の香りも、ライトさもあって、さらにそこはかとない「笑い」もありますな・・。
もはやこれ、「エッチ」と「エロ」を超えてきているよね??
そして世間一般でいう「変態」とは意味が変わってきているよね??
 

結論・・・。「変態」は、対象を「アイドル」としたときにおいて、爽やかな風と笑いを含んだ「愛すべき感情」へと「変態」するのである。             

                              

くだらないお話にお付き合いありがとございした。

 

あと、書いてる最中になんだか設定が変わっていきなり字が小さくなっちゃいました(笑)

直し方がどーしてもわからないので、このまま投下します!すいません。

 

次回はなに書くか、未定です(笑)

また良かったらお付き合いくださいませ。

 

 

 

 

「半年を経て、思うコト。」

5月1日から気づけば半年・・・。

皆さんのこの半年、長かったですか??短かったですか??

 

3人での露出が無くなっての半年、ファンの皆さんにとっては辛い日々だったのだろうなぁと思うのです。

 

私がKAT-TUNファンの皆さんと交流を持つようになったのは、5月の充電期間の開始後Twitterを始めてからなのですが、ちょうど時を同じくして「10Ks!出」のご新規さんや、ファン歴は長いもののTwitterは始めたばかりという方々でTwitter界隈は非常に賑わいをみせていました。

 

最早伝説と化している数々のタグ祭りがおきて、「おいでよ中丸の沼」タグがトレンド入りしたのもこの頃でしたね。

一種の熱に浮かされたように、深夜遅くまでTLが賑わっていたのを今でも憶えている。

 

 

あれから半年。

最近はとても静かだなぁと思うことが増えました。

あの頃繋がって毎日夜中まで騒いでいた人達をだいぶ見かけなくなりました。

 

かく言う自分も毎日夜中の3時頃までダラダラと騒いでいたのが、ほぼなにも呟かない日も増えてきた。

自分にとっては皆さんもご存知の通り、「出番ロス」「リアタイロス」の影響が非常に大きく、リアタイという片輪を失ってのTwitterがどうしても物足りない。

「今」呟いて、それに対しての反応がすぐ返ってくる点がTwitterの良いところだという思いがあるからかな。

 

仲良くしてくれる皆さんと話すのは楽しいけれど、その関係ならTL上でなくてもできてしまうもんなぁ。実際のところ、最近見かけなくなった方々はTwitterから離れた人と、仲の良いコミュニティを形成してそちらに引っ込んだ方との二分なのだろうなと思うのです。

 

じゃ自分はどうかというと、そこまでどっかに籠りたいという願望があるわけでもない。

で、一人語りで言いたいことをダラダラ綴るにはこの「はてブロ」がある。

ブログのいいところはこうしてどうでもよいことを吐き出しても、このページをクリックしない限りは人の目に留まらないという点。

 

Twitterでのネガ発言は見ていて自分も辛いときあるし、相手がミュートしてくれない限り目に入るから迷惑かかるもんね。でもここならスルーして貰える確率も高いです。

なんだかんだ、はてブロには助けられてるなぁと思う日々なのです。

で、調子の良い時はTwitterにいこう!と思うのですが、最近少し冷静な目でTwitter見てて感じたんですよね。

 

 

昔からのファンの皆さん、やっぱメンタル強いわ。

 

あとね、掛け持ちの皆さん、自分のコントロールうまいわ。

 

なんかね、揺らがない感じがすごいんすよ。

マイペースにただひたすら自担のことを呟く姿を見ているとね、なんかこう

 

「あー。やっぱりこういうファンにアイドルは支えられているんだなぁ」

 

と改めて感じる。

 

持論として芸能のお仕事は多少の浮き沈みはあって当然で、それはむしろプラスに働くと思うんだけど、自分のような謂わば「にわかファン」が浮き沈みの浮いた期間で騒ぐべきという思いできたこの半年を振り返ると、やっぱり行き着くのは「昔からのファンの皆さん」の存在なんだよなぁ。

 

たぶん「浮き沈み」とかそーいうの関係なく、ただKAT-TUNを、自担を、大事にしてて、ただひたすらその存在を愛でて支えている人達がいるんだなぁと、もうそのこと自体が生活に組み込まれていることの凄さだよね。

 

プライベートもあまり無くて、外歩けば盗撮されて、自宅映せば特定されてアイドル業って大変だよねって、一常識人ぶる自分もいるけど(でもそれも含めてアイドルで、なんならその破壊力を活かしてこそのアイドルだとも思うけど。)、それ以上に

 

「心底愛してくれるファン」

 

がたくさんいてくれるってスゴイことだなーって素直に思ってしまう。

 

もちろんファンってけっこうシビアな面もあるから、「アイドル」自身の魅力や考え方や振る舞いが大きく影響するだろうし、いくらカッコよくてもそうした面でファンがつかなくなって消えていった人なんて星の数ほどいるんだろうけど、KAT-TUNのファンを見ているとファンの存在が「アイドル」自身を上げているなぁと思うんですよね。

 

すごいな・・。愛されてるなぁKAT-TUN・・。

 

で、そう思いつつその輪から自分は1歩遠いんだなぁと、思うのが今日この頃。

最初からうすうす自覚はあったけれど、そういうファンとの関係性を見たりするのが自分にとってのハマり方なんだなぁと思っている。

 

中丸君の見た目は変態的に好きだし、カッコよいと思うし、総じて好きなんだけど、一番惹かれるのはファンとの関係性の作り方や戦略性みたいな部分なんですよね。

 

なんというか「ファンとの距離の取り方」が私にとっては120点。

 

パーソナルスペースは決して割らせないのに、一瞬だけそのスペースに入り込めるんじゃという夢を見させるあたりが120点なんだよなぁ。

 

「夢見させる」ことを仕掛けられるって、とんでもなく高度だよね。

 

Sッ気気質が何気にすごく強そうな中丸君なので、こういう浅はかな分析をされることをものすごく嫌いそうですが、

この充電期間を「中丸雄一というアイドルがどう乗りきるのか」

それが私がKAT-TUNの存在を知り、ハマった一番の要因かもしれないなぁと最近思うのです。

 

たまには距離を置いてこうして色々なことを考えてみたり、時には変態的に姿形を愛でてみたり、そんなこんなで日々を過ごすしかないけれど、その最後にはとんでもないお祭りが待っていると信じて、ここからまた半年を数えよう。

 

 

なかなか最近バカげたことを事を書き綴ってないので、次回あたりは馬鹿に徹したいなと思います。

ありがとうございました。

 

 

 

 

「追憶の火曜日。こじらせ、火曜日。」

あの涙の火曜日から早くも一か月・・。

こんなに想いをひきずるとは自分自身でも驚きである。

 

ハイ。完璧にロスってます。「出番」のことを。

火曜日が来るたびに出番さんを探し回るほどこじらせています・・・。

 

Twitterでポエマーにも賛美派にもならずに楽しく馬鹿で過ごそうと決め、そうしてきたつもりの自分が、まぁ弱気に「火曜の憂鬱」を呟く日々になろとは・・

完璧にひよってる。このままではイカン。

なにがいけないって、ツイッターで消化できる思いではないことがいかん。

と、いうことで場をなんでもありの、はてブロに移して、女々しく出番への想いを綴ることに致します。

 

それにしても番組が終了してもう1か月かぁ。

信じられます?1か月ですって。

私のTLでは数人の方々が同じようにこじらせている気配がありますが、多くの方が日常を取り戻している様子。

なのに、どうして私はこんなに引きずっているのであろう。

その理由をきちんと把握しないと、乗り越えられそうにない予感がする今日この頃。

 

番組が終了する前日にこのはてブロで、「ニッポンの出番」という番組への想いを綴り、最後の放送を渾身のリアタイダッシュで観て、自分自身の気持ちをキレイに昇華できるはずでした。

そのための道を、レールを、自分自身でうまく敷いた自信もありました。

 

どちらかというとめんどくさい性格である自覚もある自分、「Twitterの世界でどういうキャラでいたいか」ということに実はけっこうこだわりがあったりもするのです。

「美学」というにはちっぽけすぎるこだわりだけれど、なんつーか自分で指針を持っていたほうがやりやすい世界で、それがハッキリしてる人のほうが身の周りのみんなもやりやすいはずだと思っているので・・。

近づくにも回避するにも相手のキャラやスタンスが、明確に見えてたほうがジャッジしやすいもんね。

ちなみにこれ私の勝手な考えなので、まわりにそうして欲しいというわけではありません。というか、個人的には自分みたいなタイプはあまり好きじゃない。所謂同族嫌悪ですね(笑)なんだかんだ計算なしの天真爛漫さを持つ人の魅力には敵わないもんね。

 

で、その自分の目指しているキャラから逸脱してでも、グダグダ書きたくなってしまうほど今回の自分はヤバい。

 

どうヤバいかというと、

Twitterも中丸君もKAT-TUNのことも、

自分の中でなかった事にしようとしているという意味でヤバい。

 

「意識のすりかえ」っていうやつですね。自分を守るための。

 

「赤い服が欲しかったのに手に入らないなら、『私が最初から欲しかったの黄色い服』と思おう」ってやつ。

もう「出番」が見れないなら、「最初からそんなに好きではなかった」と思おうとしている自分がどこかにいます。

 

喪失の歴史を経験してきている皆さんからすれば「大げさな・・」という感じでしょうが、この一か月私の生活から「中丸君をリアタイする」ということそのものが無くなりました。

これってスゴイ大きい事でして・・。

KAT-TUNは「週末アイドル」と呼ばれるほど週末に番組が集中しているけれど、かく言う自分はほぼほぼ週末は仕事であります。

 年間で片手で足りるほどしか日曜は休めない自分にとって、シューイチはリアタイできない番組なのです。

で、もちろん番組は録画しているけど、この1か月実はほとんど録画した中丸君を見ていない。

 

中丸君を見ればちゃんとキュンキュンしますし、TLに中丸君が不足していれば自己補給したくなるからやっぱり好きは好きなんですよ。

 

でも録画を見る気がしない。

 

これ、どう考えてもリアタイできていないからなんですよね。

じゃ、なんでリアタイできないと見る気がしないんだろうと考えると、「リアタイ=Twitter」の図式が完璧に自分の中でできていて・・。

もともとテレビの見方が「突っ込みながら見る」タイプで、大型歌番組とか突っ込み満載のドラマなんかは某実況板なんかを眺めつつ見ていた私にとって、「Twitterで突っ込みながらテレビを見る」の図は最高で、毎週それはそれは楽しみに火曜の7時を迎えていたのです。

 

ましてやそこに「出番さん」というありえないほどマメな公式アカも存在してくれ・・。

「間に合わないーーー!!!」と叫べば「中丸君の登場はもう少し先ですよ」と小声で教えてくれた出番さん。

「ブランチ、出張先でやってなーーい!!」と嘆けば、見れない各地の皆さんに実況で救済してくれた出番さん。

 

そう、出番さんがいればリアタイできない日でも、なんか番組と繋がってる気持ちになれました。

 

でもね、今は中丸君の出る番組をリアタイで見れないと、とても大きな喪失感が残るんですよ。

なんというか、遠くで起こっている「祭り」をね一人で寂しく見ているような気持ち。

よくさ、子供の絵本であるでしょ?鬼の子とかが遠くの人間の子の祭りを見て、羨ましくて少し悪さをしちゃう話。

いま、あんな感じです。少しだけ疎外感。少しだけ意地悪なこといいたくなっちゃう感じ。

なので、いじいじこのブログを書いているわけです(笑)

 

テレビとTwitterの関係って私にとっては車の両輪みたいなもんなんです。

テレビが面白ければ自然とツイートは増えて、ツイートが増えればリアタイする人も増えて一種の熱を帯びた祭りになるわけです。

あの疾走感は癖になるよね。

 

私は超インドアなのでこの例えが正しいかわからないけど、ちょっと山登りにも似ているかもね。たくさんの人で登る山登り。

同じ山を同じ時間に登ってるからこそ共感できることがある。

「あの雲見て!きれい!」も「空気がキレイだねー!」も「そろそろ疲れてきたけどこの坂登って頑張ろう!」も一緒に登っているからこそできることでね。

 

これを夜中に一人でやってみてくださいよ・・。

 

「わぁ!あの雲キレイ!!」

  その声が遠い山影に、ただただ虚しく響くコダマになるだけ・・。

 

もちろん山登りのプロは、ただただ山を目指して登るでしょう。

なんなら自分の呼吸音が響く、澄んだ空気を愛せるかもしれない。

でも私は孤高のクライマーになるにはまだ早い。

まだ早いのか、愛が足りないなのかわからないけど、一人で登る録画の山が楽しくはないのです。

団体行動が嫌いな自分、一緒に登る仲間が欲しいのではない。

ただ、なに言ってもコダマ化するその空虚な感じが耐えられない。

 

たぶんこれがこの1か月、録画したテレビを見ていない理由ですね。

 

そしてここに楽しさを見つけられない今、なんだかちょっといろんなものに距離感を感じている。Twitter然り、応援云々然り・・・。

 

ファンの在り方というのは様々で、どれが正解でも間違いでもないと思う。

ただそこにあるのは「それぞれのやり方」があるというだけ。

そんななか、自分にはどうしても「みんなで支える」とか「みんなで協力して」とか「一緒に戦う」とかがしっくりきていなくて・・。

そういうスタンスの感情が自分の中にもともと無いのかも知れません。

「楽しませてもらっている」ではなく、アイドル「で」楽しみたいという気持ち、というのかな・・。先ほどのテレビの見方と一緒ですね。突っ込みながら見たい。

自分のツボにたくさん入ってきてくれる人が好き。

だからギャップとネタの塊の中丸君が好きなのです。

 

そして、もちろん応援していないわけじゃない。活躍もして欲しい。

KAT-TUNがより一層でかくなるのは大事なことだと思ってる。

でも「一致団結」して濃くなればなるほど、新しい人は入って来にくくなるのではないか・・。完成されたコミュニティは、新参者を受け付けない気がするのです。

 

濃く応援してくれる層がいてくれるからこそ言えることだけど、そこに加えて更に必要なのは「更なる濃さ」ではなく「支持する人の多さ」で、即ちどれだけファンを増やせるかなのではないかなと。

 

だからライトなノリで楽しく、広く浅く、できるだけ裾野を広く、Twitterに新しく来た人、自分と同じように歴の浅い人を迎えて楽しく過ごそうと決めてココにいるはずだったのに、完全にいま足場を崩しています。

 

中丸君の新しい番組がリアタイできる時間に始まれば、また気持ちは変わるのかもしれない。

でも恐らく私は「出番さん」の姿を探してしまう気がする。

では「出番さん」の新しい番組を探して応援してみようか!と、思ったこともある。

それはそれで楽しそうだが、「なんだか最早なにが目的かわからないよね、ソレ!」と心の自分が突っ込んできます。

 

うん。八方塞がりにこじらせてるよね・・自分。(笑)

 

かくなる上はもうひたすら、番組の復活に全精力を傾けるしかないのか・・。

過去を振り返って要望を出すのが正しいのかよくわからないし、多少なりとも迷惑かもしれないが「要望」出すのが一番良いのかな・・。

どうなのかな・・。これこそ出番さんに教えて欲しいですよ・・。

 

さて、女々しい気持ちを吐き出し今日もリアタイできなかった日曜が過ぎていきます。

今後この気持ちがどこで浮上するのか私自身が一番興味があります。

 

まったくもって建設的でない今回のブログ、皆さんのお目汚しで申し訳ない。

次回は明るく笑えるネタでお会いできればと思います!

 

ありがとうございました!

 

 

 

 

 

ありがとう。「ニッポンの出番」

「所さんのニッポンの出番」が終わる。

最終回を目前に控え、見終わった後ではセンチメンタルなポエマーになりそうなのでこのブログを書いておこうと思うのです。

 

Twitterの近しい人達の間ではもはや認識されてる節があるが、ここではっきり言っておこう私は

「出番」担である。

 

リアタイに命をかけてると言っても過言ではないし、番組視聴後は毎回タグを追って皆さんのツイートを確認する程度には出番担なのである。

 そんな自分にとって今回の番組終了が与えたショックは相当なものでして・・・。

 

2月にKAT-TUN堕ちした私にとって一番真剣に見てた番組、そして身近に感じた番組はこの「出番」であった。

恐らく多くのファンの皆さんにとっては「タメ旅」の存在はとっても大きいのだと思うのだけれど、私自身がタメ旅を見れたのは最後の3回だけであり、所謂10Ks!堕ちの皆さんは堕ちた時にはもうタメ旅は終了していたはずなので、リアルタイムでは知らないという中、「出番」は中丸君が最初に登場した回から見れている唯一の番組であった。

 

新規のファンをしていて感じることのひとつに

「共に歴史を重ねてきていない」

ということがある。

今の時代、過去の記事や放送を知ることはできるが、その時の空気やTwitterの盛り上がりなどを共有することはできない。

これはどうしようもない事実であり、言いだしてもキリのないことなのだが、ほんの少しだけ寂しい。

 

でも「出番」だけは私達新しいファンにとって、中丸くんの初登場から見ることができ一緒に「歴史を重ねていける」番組になるはずであった。

 

なので、視聴率も盛り上がりも影響力も昇り調子に上がってきてる中、番組の終了はとてもやるせない気持ちでいっぱいだが、終了を決めるタイミングはもっと早い段階にあったのだろうから、そこに今のような盛り上がりを作ることができなかったファンとしての自分の無力さや甘さも感じながら今回のブログを書いている。

 

「後悔 先に立たず」

その言葉通り、「あぁしていれば・・こうしていれば・・」を書いてもしょうがないので、その想いよりは

「私が『所さんのニッポンの出番』の何を愛していたのか」

を番組終了前に記しておきたいのであります。

 

 

「出番愛」を語る上でまず1番目にあげるのはやはり、番組の作りの面白さであろう。

中丸君目当てで見始めた番組だったけど、もし中丸君がいなくなっても見続けたいと思えるような番組だった。

 

趣味趣向というのは正にそれぞれではあると思うのだが、この「ニッポンの出番」という番組内容、とっても中丸担のストライクゾーンに入るものだと思う。

 

なんつーか「へぇーー!」となるもの、そして「隙間をつくような構成」。

 

外人さんのヲタとかものすごくツボにくる特集だったし、京都の特集や国宝的なものが見れたり、ランキングを当てる楽しみがあったり。そして何より、

 

「何かを突きつめた『人』や『モノ』が持つ、崇高さ」

 

みたいなのをたくさん感じた。時にそれはバカバカしさとの紙一重で、そこがまた非常に良かった。「広く浅く誰もが夢中になること」より「自分しかハマらなくても突きつめて追いかける姿」はとても清々しく、時には涙してしまったものである。

 

番組自体、時間が足りずにカットしたんだろうなーと思う程、毎回内容も濃かった。

CM開けまで何回も引っ張ったり、番組の後半で!の内容をひたすら待つこともなかった。

番組を見て感じるのはいつでも「真摯」に番組作りをしているんだろうなーというスタッフさんの熱気だった。

 

あとね、なんか出演者の皆さんから感じる空気もすごく好きだった。

こう穏やかで和やかで、スタジオで楽しくVを見ているんだろうなぁーっていうのが伝わってきた。

昔々、お正月にはどこのお店も閉まってて、テレビしか見るもんないしね、なんて言いながらも仲良く家族全員が集まってコタツ入って皆でテレビを見て頃、みたいなのを思い出すような空気感だった。

そういう空気を出しながら、あったかい気持ちで見れるテレビって実は貴重なんだよなぁーってほんとに思う。

私にとっての心のオアシスであった「いい旅、夢気分」といい、この空気感を出してくれる番組がどんどん終わっていく悲しみと不安に、時代を恨まずにはいられない。

 

 

 

2つ目は「出番」との出会いが私に与えてくれた大きなプレゼント。

 

「リアタイをする楽しさ」

 

この数か月、リアタイのために何度走ったことかわからない。

時に仕事場を定時で走り抜け、時に出張先を12キロの荷物が入ったガラガラを引っ張りながら走り、ホテルのエレベーターが混んでいれば非常階段を5階まで走って上ったりした。

 

思えば高校1年の部活の最初の合宿で過呼吸で2回倒れそのまま辞めたあの日以来、ほとんどこの数十年走った記憶がない。

会社に遅刻しそうでも走らず遅刻を選ぶ自分が、テレビを見るためにスニーカーを買い、走ったあの日々はなんというか自分にとっては青春であった。

Twitterのフォロワーさんも走る自分を応援してくれ、もはや毎週火曜は私の中で「リアタイ」というイベントだった。

8時開始では得られなかったこの楽しみ、ドキドキ、本当にありがとう。

 

 

 そして、この「リアタイ」へ私を走らせた原動力が、中丸君の番組登場と共に現れた

 

公式アカウント「出番さん」

 

という存在。

 

KAT-TUNファンになるまでTwitterを一切してこなかった私にとって「公式アカウント」というのは「番組情報を教えてくれるもの」という認識であった。

しかし「出番さん」は違った。

「みんなと同じ目線に来てくれる」存在だった。

公式アカウントであるから「相互フォロー」ではないのに、多くのファンが「相互フォロー」をしている錯覚に陥るほど、「出番さん」はすごく身近にTwitterの中にいてくれた。

 

5月の当初、充電期間がどのようにすすんでいくのか先が見えなくて、とっても不安定な空気がまわりには充満していて、でもなんとか自家発電でみんなが頑張って乗り切ろうとしている中「出番さん」は現れた。

中丸くんは「充電期間中、コミュニティが薄れるのが心配」と言っていて、自らお知らせや繋がりを密にしようとしてくれていたけど、その中でも「出番さん」の存在にファンが助けられた部分は大きいと思う。

 

「出番さん」が番組後、長い時間をかけてリプやタグの中から一つ一つ「いいね!」をしてくれたこと、時には皆のツイートにリプをしてくれたこと、中丸君の番組の中での話を伝えてくれたこと、こうしたすべてのことは「出番さん」がやってくれたことだけど、同時に中丸くんとの「コミュニティ」を感じることでもあって、それが与えてくれた安心感や親密感は計り知れない。

 

もちろん「出番さん」が戦略的にも優れていたなぁと思うことは多々あって、冷静にその話を語りたい自分もいるけれど、それ以上に何よりも番組を見るファンを大事にしてくれたなぁとか、出番さんともう会えないのかなぁとかセンチメンタルな気持ちが「出番さん」に関しては勝ってしまう。

 

あの日、少し悪意を含んだ内容で番組終了のニュースが流れて各所が軽い混乱に陥った時に、「出番さん」がきちんとそのことについてお知らせをしてくれたこと、そのことを私はずっと忘れない。

 

秋の改編についての発表がまだのあの時期に、立場上極めて難しい判断だったと思うが、「出番さん」があの時教えてくれずもし本当のギリギリになって知ったらショックや混乱はもっともっと大きかっただろうし、悲しさはその数倍だったかもしれない。

でも「出番さん」が皆にきちんと伝えてくれて、最後まで番組作りを頑張ると言ってくれたから最後まで応援して、番組を楽しまなくちゃと思えた。

 

前向きに「最後」を迎えられるかどうかってすごくすごく大事。

そして前向きな「最後」なら次への希望が持てるとも思ってる。

 

 

たくさんの「特別」と「ありがとう」が「ニッポンの出番」にはありました。

 

心の底から『ありがとう』。

そして『かえってくるのを待っています』。

 

 

 

ポエマーにならないよう、いつものふざけた自分でいたいなと、最終回前に書いたのに結果思いっきりポエマーになってしまった・・。

罪作りな番組ですな・・(笑)

 

それでは火曜もスニーカー履いて、定時に飛び出して、最後の最後の走りで「リアタイ」目指して頑張るぞ!!

待ってろよ!!「ニッポンの出番」!!

 

大好きだぞ!!「ニッポンの出番」!!

 

 

拝啓 33歳の中丸君へ

拝啓 中丸雄一様

 

33歳のお誕生日、誠にお目出度う御座います。

この素晴らしい日をお祝いできることを今生の喜びとし、ここからの一年をワタクシも精一杯生きていく所存で御座います。

 

                                                                       平成28年9月4日  ペー

 

 

 

 

・・・というわけで、本日は中丸雄一氏33歳のお誕生日です。

今まで芸能人の誕生日を祝うという経験がなかったワタクシですが、いやーなんというか非常に楽しいものですね!!

 

ほんと言うとちょいちょい見かける本人不在の「ハピバ会」なるものに、とっても冷静に現れる私の中の「一般人」が「イヤイヤ・・なんだか・・・」と遠い目をしてみたり、中丸くんの写真の前にお供えされたケーキに、田舎のおばあちゃんの仏壇を思い出して哀愁漂う気持ちになったりしていたのですが、いざ夜中の12時に始まった「中丸生誕祭」を目撃して、

 

「そりゃー、みんなケーキ用意して祝っちゃうよね!!」

 

という気持ちになりました!!いやーファンの皆さまほんと軽く引いててすいませんでした。もうね今なら気持ちはデカいホールのケーキ買ってお供えしそうですよ!!

(してないけど!)

 

それにしてもなんだかんだと定期的にTwitterが戦地と化すのを見てきて、「今回の誕生日は大丈夫かな・・・」と心配していた矢先の大爆弾投下・・・。

ニッポンの出番でゆっちが引いた「凶」の威力が頭をよぎった瞬間でした。

 

基本的に「何人のKAT-TUNが1番!」という主義を持たずにフラットにネット内にいようと思っているので、その件についてはなにも書くことはないのですが、TLが戦地と化したのを見て少々悲しく、Twitter開始4か月で「やめるか、Twitter・・」と最も強く思った3日前の木曜日。投下されたニュースそのものよりも、ファンの色々が悲しかった。

なんせ自分「hyphenの皆さんに堕ちた」身ですので・・・。

 

 

しかーーーし、そんな中迎えた昨日夜中の0時!!

 

Twitterには、「喜び」と「感謝」と「幸せ」と「笑い」しかなかった!!

 

中丸くん、これあなたの人徳ですね・・・。

 

週末自分のテンションを保つため、ひたすらゆっちの画像を眺め、どんな空気になろうとも「笑い」と「祭り」を心の中のテーマにアイコン・ヘッダーの準備をして挑みましたが、TLに溢れるなかまるくんへの「おめでとう!!」にただただテンションが上がり続け自分のリミッターがはずれるところでした。

 

夜通し熱い想いを叫び続け、かっこよい中丸君や癒されるなかまるくんや、笑えるナカマルくん、雄感丸出しのユウイチナカマルを投げ続けたいところでしたが、まさかの本日仕事のためそれも叶わず、とりあえずこの思いを昇華させるべく予定外のブログを更新することに致しました。

 

と、いうわけで33歳になる中丸君へ、33個の「中丸くんの好きなところ」を述べてお誕生日祝いとさせて頂きたく思います。

 

 

①何はさておき、くるぶしの骨。

 骨のラインが完璧です。いつでもいかなる番組でも、あの骨には注目し続けています。

 

②頭の丸み。

 とんでもなくかわいい。「この世の平和」はあの丸みに隠されていると思う。

 

③歌ってる時の低音ボイス

 低音の時、顔つき違う・・。

 

④歌ってる時の高音ボイス。

 高音だすときに、少し腰を落とすのが好き♡

 

⑤左でマイクを持って話すときの右手の動き。

 なんか右手、ピロピロしてること多い。

 

⑥目元の笑い皺

 眉間に皺ないのに、目元には出るあの皺から今までの笑顔の数を感じる。

 

⑦下唇に反して、薄い上唇

 反則です。

 

⑧話すときの声の高さ

 地声よりちょっと高いと思われるあの声に「お仕事モード」を感じる。

 

⑨たまに出る、強めの突っ込み

 雄感。声が低いと120点。

 

⑩鉄壁の前髪

 前髪を死守しようという心意気が好き。

 

⑪鉄壁の前髪の右側からたまに見える眉毛

 たまたま見えると「捕まえた♡」感が生まれます。

 

⑫指

 長すぎてビビる。

 

⑬アゴからエラのライン、そしてアゴ

 黄金ライン。

しっかりアゴが発達して、歯がしっかり収まってそうな所にオトコ感を感じる。

 

⑭白い靴下

 白い靴下へのこだわりを感じる。実際大人で履いてる人少ないはず。

 ゆっちのなにが白い靴下へのこだわりを生むのか知りたい。

 

⑮爪

 キレイだけど、小さくない爪が良い。

 

⑯言葉遣い

 「ら抜き」をしない。略さない。

 

⑰耳

 かわいい。かわいいけどピアスホールのギャップ。

 

⑱薄い体

 体全体はなんとなく薄いが、アバラは出ていない感じ。

 

⑲後ろから見た時の肩幅

 肩幅から滲み出るオトコ感。

 

⑳食べ過ぎてたまにポッコリするお腹

 転がって暴れたくなるほど好き!

 

㉑PCを操る姿

 「キレ者」というよりは「PC好きサブカル感」なところ。

 

㉒論理的思考

 起承転結はもちろん「最初に命題を提示」とか、こだわりが強そうなところ。

 

㉓意外とルーズなエピソードの数々

 時間にルーズな感じ、萌える。

 

㉔丸首のTシャツの似合いすぎ問題

 そこそこ首のつまった丸首のTシャツは宇宙一似合うと思う。

 特に白。

 

㉕眼鏡丸

 クラシック眼鏡、似合い過ぎてる。

 

㉖適度に抜いたダンス

 こ慣れてる感満載。

 

㉗ガシガシ踊るダンス

 中丸君自身が気持ちよくなってるのが伝わり過ぎる。カッコよい。

 

㉘イヤモニを気にする仕草

 よくわかんないけど、ものすごく好き。

 

㉙涙

 「泣かせる」映画では泣かなそうなのに、時折見せる見せる「涙」の破壊力。

 

㉚生活感のある家

 生活感ある部屋にも萌えるが、あれがすべて「テレビ用」ならなお萌える。

 

㉛バランス感覚

 すべてにおいてバランス感覚を発揮。天性のバランサーだと思う。

 

㉜広い心

 変態なファンも、アイドルという仕事の宿命も、若かりし頃のまわりの状況も

 すべて受け入れて存在してくれているその広い心。

 

㉝とりあえず「中丸 雄一」のすべて

 大好きです・・。

 

 

 

33個では全然ほんとに言い足りないから、ながーくながーく「中丸雄一」でいてね!!

33歳、おめでとう!!!