気付けば人生、沼だらけ。

サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた日々の雑記、のはずが他にも扉を開き中。

「追憶の火曜日。こじらせ、火曜日。」

あの涙の火曜日から早くも一か月・・。

こんなに想いをひきずるとは自分自身でも驚きである。

 

ハイ。完璧にロスってます。「出番」のことを。

火曜日が来るたびに出番さんを探し回るほどこじらせています・・・。

 

Twitterでポエマーにも賛美派にもならずに楽しく馬鹿で過ごそうと決め、そうしてきたつもりの自分が、まぁ弱気に「火曜の憂鬱」を呟く日々になろとは・・

完璧にひよってる。このままではイカン。

なにがいけないって、ツイッターで消化できる思いではないことがいかん。

と、いうことで場をなんでもありの、はてブロに移して、女々しく出番への想いを綴ることに致します。

 

それにしても番組が終了してもう1か月かぁ。

信じられます?1か月ですって。

私のTLでは数人の方々が同じようにこじらせている気配がありますが、多くの方が日常を取り戻している様子。

なのに、どうして私はこんなに引きずっているのであろう。

その理由をきちんと把握しないと、乗り越えられそうにない予感がする今日この頃。

 

番組が終了する前日にこのはてブロで、「ニッポンの出番」という番組への想いを綴り、最後の放送を渾身のリアタイダッシュで観て、自分自身の気持ちをキレイに昇華できるはずでした。

そのための道を、レールを、自分自身でうまく敷いた自信もありました。

 

どちらかというとめんどくさい性格である自覚もある自分、「Twitterの世界でどういうキャラでいたいか」ということに実はけっこうこだわりがあったりもするのです。

「美学」というにはちっぽけすぎるこだわりだけれど、なんつーか自分で指針を持っていたほうがやりやすい世界で、それがハッキリしてる人のほうが身の周りのみんなもやりやすいはずだと思っているので・・。

近づくにも回避するにも相手のキャラやスタンスが、明確に見えてたほうがジャッジしやすいもんね。

ちなみにこれ私の勝手な考えなので、まわりにそうして欲しいというわけではありません。というか、個人的には自分みたいなタイプはあまり好きじゃない。所謂同族嫌悪ですね(笑)なんだかんだ計算なしの天真爛漫さを持つ人の魅力には敵わないもんね。

 

で、その自分の目指しているキャラから逸脱してでも、グダグダ書きたくなってしまうほど今回の自分はヤバい。

 

どうヤバいかというと、

Twitterも中丸君もKAT-TUNのことも、

自分の中でなかった事にしようとしているという意味でヤバい。

 

「意識のすりかえ」っていうやつですね。自分を守るための。

 

「赤い服が欲しかったのに手に入らないなら、『私が最初から欲しかったの黄色い服』と思おう」ってやつ。

もう「出番」が見れないなら、「最初からそんなに好きではなかった」と思おうとしている自分がどこかにいます。

 

喪失の歴史を経験してきている皆さんからすれば「大げさな・・」という感じでしょうが、この一か月私の生活から「中丸君をリアタイする」ということそのものが無くなりました。

これってスゴイ大きい事でして・・。

KAT-TUNは「週末アイドル」と呼ばれるほど週末に番組が集中しているけれど、かく言う自分はほぼほぼ週末は仕事であります。

 年間で片手で足りるほどしか日曜は休めない自分にとって、シューイチはリアタイできない番組なのです。

で、もちろん番組は録画しているけど、この1か月実はほとんど録画した中丸君を見ていない。

 

中丸君を見ればちゃんとキュンキュンしますし、TLに中丸君が不足していれば自己補給したくなるからやっぱり好きは好きなんですよ。

 

でも録画を見る気がしない。

 

これ、どう考えてもリアタイできていないからなんですよね。

じゃ、なんでリアタイできないと見る気がしないんだろうと考えると、「リアタイ=Twitter」の図式が完璧に自分の中でできていて・・。

もともとテレビの見方が「突っ込みながら見る」タイプで、大型歌番組とか突っ込み満載のドラマなんかは某実況板なんかを眺めつつ見ていた私にとって、「Twitterで突っ込みながらテレビを見る」の図は最高で、毎週それはそれは楽しみに火曜の7時を迎えていたのです。

 

ましてやそこに「出番さん」というありえないほどマメな公式アカも存在してくれ・・。

「間に合わないーーー!!!」と叫べば「中丸君の登場はもう少し先ですよ」と小声で教えてくれた出番さん。

「ブランチ、出張先でやってなーーい!!」と嘆けば、見れない各地の皆さんに実況で救済してくれた出番さん。

 

そう、出番さんがいればリアタイできない日でも、なんか番組と繋がってる気持ちになれました。

 

でもね、今は中丸君の出る番組をリアタイで見れないと、とても大きな喪失感が残るんですよ。

なんというか、遠くで起こっている「祭り」をね一人で寂しく見ているような気持ち。

よくさ、子供の絵本であるでしょ?鬼の子とかが遠くの人間の子の祭りを見て、羨ましくて少し悪さをしちゃう話。

いま、あんな感じです。少しだけ疎外感。少しだけ意地悪なこといいたくなっちゃう感じ。

なので、いじいじこのブログを書いているわけです(笑)

 

テレビとTwitterの関係って私にとっては車の両輪みたいなもんなんです。

テレビが面白ければ自然とツイートは増えて、ツイートが増えればリアタイする人も増えて一種の熱を帯びた祭りになるわけです。

あの疾走感は癖になるよね。

 

私は超インドアなのでこの例えが正しいかわからないけど、ちょっと山登りにも似ているかもね。たくさんの人で登る山登り。

同じ山を同じ時間に登ってるからこそ共感できることがある。

「あの雲見て!きれい!」も「空気がキレイだねー!」も「そろそろ疲れてきたけどこの坂登って頑張ろう!」も一緒に登っているからこそできることでね。

 

これを夜中に一人でやってみてくださいよ・・。

 

「わぁ!あの雲キレイ!!」

  その声が遠い山影に、ただただ虚しく響くコダマになるだけ・・。

 

もちろん山登りのプロは、ただただ山を目指して登るでしょう。

なんなら自分の呼吸音が響く、澄んだ空気を愛せるかもしれない。

でも私は孤高のクライマーになるにはまだ早い。

まだ早いのか、愛が足りないなのかわからないけど、一人で登る録画の山が楽しくはないのです。

団体行動が嫌いな自分、一緒に登る仲間が欲しいのではない。

ただ、なに言ってもコダマ化するその空虚な感じが耐えられない。

 

たぶんこれがこの1か月、録画したテレビを見ていない理由ですね。

 

そしてここに楽しさを見つけられない今、なんだかちょっといろんなものに距離感を感じている。Twitter然り、応援云々然り・・・。

 

ファンの在り方というのは様々で、どれが正解でも間違いでもないと思う。

ただそこにあるのは「それぞれのやり方」があるというだけ。

そんななか、自分にはどうしても「みんなで支える」とか「みんなで協力して」とか「一緒に戦う」とかがしっくりきていなくて・・。

そういうスタンスの感情が自分の中にもともと無いのかも知れません。

「楽しませてもらっている」ではなく、アイドル「で」楽しみたいという気持ち、というのかな・・。先ほどのテレビの見方と一緒ですね。突っ込みながら見たい。

自分のツボにたくさん入ってきてくれる人が好き。

だからギャップとネタの塊の中丸君が好きなのです。

 

そして、もちろん応援していないわけじゃない。活躍もして欲しい。

KAT-TUNがより一層でかくなるのは大事なことだと思ってる。

でも「一致団結」して濃くなればなるほど、新しい人は入って来にくくなるのではないか・・。完成されたコミュニティは、新参者を受け付けない気がするのです。

 

濃く応援してくれる層がいてくれるからこそ言えることだけど、そこに加えて更に必要なのは「更なる濃さ」ではなく「支持する人の多さ」で、即ちどれだけファンを増やせるかなのではないかなと。

 

だからライトなノリで楽しく、広く浅く、できるだけ裾野を広く、Twitterに新しく来た人、自分と同じように歴の浅い人を迎えて楽しく過ごそうと決めてココにいるはずだったのに、完全にいま足場を崩しています。

 

中丸君の新しい番組がリアタイできる時間に始まれば、また気持ちは変わるのかもしれない。

でも恐らく私は「出番さん」の姿を探してしまう気がする。

では「出番さん」の新しい番組を探して応援してみようか!と、思ったこともある。

それはそれで楽しそうだが、「なんだか最早なにが目的かわからないよね、ソレ!」と心の自分が突っ込んできます。

 

うん。八方塞がりにこじらせてるよね・・自分。(笑)

 

かくなる上はもうひたすら、番組の復活に全精力を傾けるしかないのか・・。

過去を振り返って要望を出すのが正しいのかよくわからないし、多少なりとも迷惑かもしれないが「要望」出すのが一番良いのかな・・。

どうなのかな・・。これこそ出番さんに教えて欲しいですよ・・。

 

さて、女々しい気持ちを吐き出し今日もリアタイできなかった日曜が過ぎていきます。

今後この気持ちがどこで浮上するのか私自身が一番興味があります。

 

まったくもって建設的でない今回のブログ、皆さんのお目汚しで申し訳ない。

次回は明るく笑えるネタでお会いできればと思います!

 

ありがとうございました!