気付けば人生、沼だらけ。

サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた日々の雑記、のはずが他にも扉を開き中。

ファンってなんなのでしょうねぇ、という雑記。

アナタにとって「アイドルってどんな存在ですか?」

 このところそんなことを考えます。

 

アイドルでなく、俳優でも芸人でも声優でもなんでも良いのですが、アナタの好きな「その人」は、あなたにとってどんな存在なんでしょうか。

 

ファンは自分の好きな人に何を求めて、そして何を背負わせてしまってるのだろう。

 好きな対象に「救い」を求める行為は、もしかして相手に負荷を与えてしまうことになるのかなぁ。

 なんてことを最近よく考えます。

冬、だからかな?

 

いやそれにしてもまさかこんなことを考える日が来るとはね・・。

ずいぶんと一人語りの話になりそうなのですが、もしかしたら私と同じような考えの方が少しでもスッキリしてくれればと思うので、ちょっと今回はツラツラと書かせて頂こうかと・・。

 

もともと私は広く浅ーく色んなものに興味を持って生きてきて、何かに一途にハマり続けたという経験がないんですよ。

一応サザンは20年近くファンクラブに入っていて、コンサートがあれば申し込み当たれば観に行くし、CDやアルバムやDVD発売されれば予約して買いはします。

でも予約して到着するまで発売日忘れてるし、届いても観なかったり・・あれ?書くとなかなか酷いな・・。

あとは好きな作家の本はすべて集めて買ったりするし、観たい映画とか芝居があったら軽率に足を運んだりはする。

 

その都度ハマったものに対してはそれなりの敬意を持って、お金を落としてきた感じ。

 

そんなゆるーい自分が、この2年ジャニーズファンと呼ばれる人々の中に、ひょっこり飛び込んでみて感じたことがあります。

 

「あぁ・・良くも悪くも愛が重い・・。」

 

もちろんファンや、その気持ちを否定するわけじゃないです。

今までにも繰り返し書いてきたことだけど、私は基本どんな意見も否定しないッス。

もちろん犯罪とか「人して許される一線」みたいな基準は持ってるけど、それぞれがどんな考えを持とうがそれは自由だし、一種の諦めみたいな気持ちも持ってて。

例えそれがオンリーだろうがアンリーだろうがその人がそう思っちゃうなら、私は受け入れはしないけどその方の考えだからしょうがないという感じ。それぞれのテリトリーに乗り込んでそれを否定した時点で、その受け入れられない考えより更にタチが悪いと思ってるんですよ。

 

なので今回の私のブログも、そんな一個人の意見として受け入れて頂ければ幸いです。

 

2年前KAT-TUN沼に堕ちて、生まれて初めてジャニーズとそれを取り囲む世界にきたのですが、そのことに関しては初期のブログを読んで頂くとして(なんせ話すと長い)、

 それまでどちらかというとサブカル界隈で生きてきてアンチジャニーズ的なところがあったし、友達にもジャニーズファンだった子が一人もいないという世界にいたので、沼に堕ちてのこの2年すべてが新鮮で楽しかったです。

 

一番最初、充電期間に入ろうかというKAT-TUNにハマることに躊躇したものでしたけどあの頃それを跳ね飛ばすが如く、大喜利に勤しんだり、悲しみに打ちひしがれることなく新規勧誘したり、「笑い」と「洒落」と「変態的な愛」を叫ぶ人々を見て、私のジャニーズファンのイメージは180度変わりました。

 

「あ、KAT-TUNファン、好きかもしれない」と思ったのです。

 

「笑いにできる」「変態的な愛を叫ぶ」、このどちらも実は第3者的な目を持っていないとできないことだから。

そして悲しみや苦しみを何かに転換して、日々を生きるような人の強さが好きだから。

 

でも今思うとこれ、もしかしたら少しだけ勘違いしてたのかもしれないなぁ。

あの時本当にキツかった人の多くは、表に出て来ないで、悲しみの底にいただけなのかもしれない。

 

で、少しづつ色んな暗闇をそれぞれが抜け出して、そして逆に少しづつ身を潜めていく方が増えて来て・・。

 

いまなんだか私がこの沼に来た時の空気は無くなってきたなぁと感じてる。

 

応援したり、歌を褒めたり、言葉に感動したり、演技を賛美したり、それはその人がそう感じてることだから大いに声高に叫んでもらって良いと思うんですよ。

 

でもさ、「いやいや、それは無いぜw」みたいな瞬間、本当はありますよね??

「正直、今日の顔のコンディション・・」とか「え?今の発言、そりゃマズいよね?」

みたいな・・。そういうのを言ったらそれはファンでは無いのかなぁ?

「そんなことないよ!」

と私の周りは言ってくれると思うのだけれど、現実的にそうした発言が叩かれたり、

「ファンなのになんでそういうこと言うのか」みたいな空気をですね、めちゃめちゃ感じるのです。

 

酸素が薄いっす・・なんか濃密なの。

熱烈なファンの皆さんが活動を支え、ここまで色んなグループを大きくしてきたのは百も承知なのだけれど、数秒のワイドショーを録ることや、発言の一言一言に意味を持たせようとしたり、仲が良いとか悪いとか騒いでみたり・・・そうしたことに疲れてきちゃったのです。

 

そういう観点からみると、すべてを把握したい、言葉の真意を感じたい、好きな人の何もかもを取り込もうとするファンのパワーを受け止めてるアイドルってスゴイよね。

 

私もひとつだけ買ってしまったことがあるから言えたものでもないけど、私物を特定されては真似をして買われたり、発言のひとつひとつを拾われて……。

ちょっと自分に置き換えてみてくださいよ・・普通に引きますよね?

いやそれが芸能人として、人気商売してる人の宿命って言ってしまえばそれまでで、

そして私はどちらかというとそういうものを割り切って受け入れて「ビジネス」として成立させてる人が好きだったんです。

 

ファンの皆さんの異論はおありだと思うのですが、私にとって中丸君はそういう感じでした。線引きが明確で意図してやってるとこが見えやすいというか・・。

「あぁ、これ絶対荒れるとわかってても投げた意見なんだなぁ」と思うこともありましたし、それでもそれを投げるのね?ということも含めて好きでした。

中丸君からは真面目さと計画性と、計算高さと、でも自分を曲げない頑固さと、ファンのことは考えるけどファン個人には感情を持ってかれないブレなささみたいなのを感じてて、とても居心地が良かったのです。

ファンにとやかく言われようが、そこに鉄壁のガードを持っていて、なんというか私自身のスタンスを変えずに好きでいられるアイドルでした。

私はTwitterのプロフに「中丸君『で』遊びたい」と書いてましたが、まさにそんな日々で、でもなんだか最近はそれができてなくて・・。

 

なんというかアイドルの皆さんが、ファンに捧げてる時間だったり、無理する気持ちだったり、正しさだったりがないとダメな空気と言いますか、そこに重きが置かれてる空気がある。そういうものを感じてなんだか辛くなってきてしまったんですよね。

 

「こうであって欲しい」という想いはね、享受する側のファンが持つのは当然だと思うし、発言の解釈をそれぞれが展開する権利はあると思うのです。それ見るのにお金払ったりしてるしね。

でもそれを使って他者を攻撃することは違うと思うし、まして対象に返すのは違うのではないかと思うのです。

 

機嫌が良い日もあれば悪い日もあるし、ポジティブな日もネガティブな日もあるじゃないですか、朝起きて歯を磨こうとしたら歯磨き粉が切れてたってだけで機嫌悪くなったりするのが人間じゃないですか・・。

だからその人の発した、その日の一言が「その人の全部」であるかのように攻撃したり悲しんだり反論するのはしんどいなぁと思うのです。

私は人間関係って最終的に「想像力」がすべてだと思ってて。自分自身のことをまるっと相手に伝えることってできないと普段から思うのだけれど、「察して」欲しいという願望はありますよね?

「察する」力って「想像力」なんだと思うんです。でね、その想像力の根本にあるのが「優しさ」であって欲しいなぁって思う。

なんでも悪い方に想像するんじなゃなく、優しさを持って想像したい。

そうして適度な距離感とゆるさを持ったままファンでいたい。

なんつーか、あれですよ。

港で待つ奥さんみたいな気持ちで、ひろーい海を泳いできてもらおうぜ!みたいな。

ほっといて欲しい時はほっといてあげて、構って欲しい騒いで欲しい時は、「ハイハイ、盛り上げたいのね・・」と盛り上がってあげるそんな母なるファンが良いのではないかと。適度な距離感とアイドルから影響を受け過ぎない日々。健全なヲタ生活。

でね、なんとなく中丸君に関しては私自身はそんなファンでいられた気がするのです。

 

でも、いま Kinkiの沼というより堂本剛的世界に足を踏み入れてしまって、正直にっちもさっちもいかなくなっております。

 

今まで私が心地よいと感じてきた境界線や距離感が保てない。

観るもの、読むものその色々から受ける影響が大きすぎて、感情が引きずられる。

それは私が楽で心地よいと感じてた「ビジネス」の匂いがしないからなのだろうなぁ。

「ファンに嘘をつかない」という生き方への尊敬と、そうした生き方を選べるまっすぐさへの憧れや怖さ、そして自分はそうは生きてないし生きれないかもという自己嫌悪。

ものすごく近くに感じることもあるし、ものすごく遠いとこにも感じる。

何万人ものファンを抱えているのに、隣で話を聞いてくれそうで、でも人と人は永遠にわかりあえない一線があってでもそれは悲しいけど美しいことなんだよなぁ、というような気持ちになる。

 

私はドキュメンタリー映画が好きなのだけれど、そうしたものを見た時と同じ感じがずっと続いてて、シーンと冷えた空気みたいで気持ち良いけれど、キツイ。

基盤となる自分の生活をもって、プラスαの楽しみとして、趣味として楽しむものであったはずが、そこを超えてきてるんだよね・・。

そしてそんな存在は稀有だから突き進みたい気持ちと、これ以上影響を受けたくないという二つの気持ち。難しい。

「剛くん『で』遊びたい」というスタイルを貫き通せない。

そう、気付けば私自身がなんだか重いファンに・・。

 

ファンからの「愛」を受け取って、まっすぐにファンにみんなに「愛」を届けようとしてくれることを思うと、それは素敵な関係なのだけれど、何かによって自分の「在り方」を変えることが基本なかった私にとって一大事ですよ。

 

そんなことを思いながら、そして自分がどこに向かうのかわからないまま、今日もDVDを観てそしてその言葉からなにかを感じ取ろうと思います。

果たしてこの到着点はどこになるのか…。

すべてを見終わって、なにかが見えたらまたツラツラと自分の備忘録としてここに書くかな…(日記か…)と思ってます。