ありがとう。「ニッポンの出番」
「所さんのニッポンの出番」が終わる。
最終回を目前に控え、見終わった後ではセンチメンタルなポエマーになりそうなのでこのブログを書いておこうと思うのです。
Twitterの近しい人達の間ではもはや認識されてる節があるが、ここではっきり言っておこう私は
「出番」担である。
リアタイに命をかけてると言っても過言ではないし、番組視聴後は毎回タグを追って皆さんのツイートを確認する程度には出番担なのである。
そんな自分にとって今回の番組終了が与えたショックは相当なものでして・・・。
2月にKAT-TUN堕ちした私にとって一番真剣に見てた番組、そして身近に感じた番組はこの「出番」であった。
恐らく多くのファンの皆さんにとっては「タメ旅」の存在はとっても大きいのだと思うのだけれど、私自身がタメ旅を見れたのは最後の3回だけであり、所謂10Ks!堕ちの皆さんは堕ちた時にはもうタメ旅は終了していたはずなので、リアルタイムでは知らないという中、「出番」は中丸君が最初に登場した回から見れている唯一の番組であった。
新規のファンをしていて感じることのひとつに
「共に歴史を重ねてきていない」
ということがある。
今の時代、過去の記事や放送を知ることはできるが、その時の空気やTwitterの盛り上がりなどを共有することはできない。
これはどうしようもない事実であり、言いだしてもキリのないことなのだが、ほんの少しだけ寂しい。
でも「出番」だけは私達新しいファンにとって、中丸くんの初登場から見ることができ一緒に「歴史を重ねていける」番組になるはずであった。
なので、視聴率も盛り上がりも影響力も昇り調子に上がってきてる中、番組の終了はとてもやるせない気持ちでいっぱいだが、終了を決めるタイミングはもっと早い段階にあったのだろうから、そこに今のような盛り上がりを作ることができなかったファンとしての自分の無力さや甘さも感じながら今回のブログを書いている。
「後悔 先に立たず」
その言葉通り、「あぁしていれば・・こうしていれば・・」を書いてもしょうがないので、その想いよりは
「私が『所さんのニッポンの出番』の何を愛していたのか」
を番組終了前に記しておきたいのであります。
「出番愛」を語る上でまず1番目にあげるのはやはり、番組の作りの面白さであろう。
中丸君目当てで見始めた番組だったけど、もし中丸君がいなくなっても見続けたいと思えるような番組だった。
趣味趣向というのは正にそれぞれではあると思うのだが、この「ニッポンの出番」という番組内容、とっても中丸担のストライクゾーンに入るものだと思う。
なんつーか「へぇーー!」となるもの、そして「隙間をつくような構成」。
外人さんのヲタとかものすごくツボにくる特集だったし、京都の特集や国宝的なものが見れたり、ランキングを当てる楽しみがあったり。そして何より、
「何かを突きつめた『人』や『モノ』が持つ、崇高さ」
みたいなのをたくさん感じた。時にそれはバカバカしさとの紙一重で、そこがまた非常に良かった。「広く浅く誰もが夢中になること」より「自分しかハマらなくても突きつめて追いかける姿」はとても清々しく、時には涙してしまったものである。
番組自体、時間が足りずにカットしたんだろうなーと思う程、毎回内容も濃かった。
CM開けまで何回も引っ張ったり、番組の後半で!の内容をひたすら待つこともなかった。
番組を見て感じるのはいつでも「真摯」に番組作りをしているんだろうなーというスタッフさんの熱気だった。
あとね、なんか出演者の皆さんから感じる空気もすごく好きだった。
こう穏やかで和やかで、スタジオで楽しくVを見ているんだろうなぁーっていうのが伝わってきた。
昔々、お正月にはどこのお店も閉まってて、テレビしか見るもんないしね、なんて言いながらも仲良く家族全員が集まってコタツ入って皆でテレビを見て頃、みたいなのを思い出すような空気感だった。
そういう空気を出しながら、あったかい気持ちで見れるテレビって実は貴重なんだよなぁーってほんとに思う。
私にとっての心のオアシスであった「いい旅、夢気分」といい、この空気感を出してくれる番組がどんどん終わっていく悲しみと不安に、時代を恨まずにはいられない。
2つ目は「出番」との出会いが私に与えてくれた大きなプレゼント。
「リアタイをする楽しさ」
この数か月、リアタイのために何度走ったことかわからない。
時に仕事場を定時で走り抜け、時に出張先を12キロの荷物が入ったガラガラを引っ張りながら走り、ホテルのエレベーターが混んでいれば非常階段を5階まで走って上ったりした。
思えば高校1年の部活の最初の合宿で過呼吸で2回倒れそのまま辞めたあの日以来、ほとんどこの数十年走った記憶がない。
会社に遅刻しそうでも走らず遅刻を選ぶ自分が、テレビを見るためにスニーカーを買い、走ったあの日々はなんというか自分にとっては青春であった。
Twitterのフォロワーさんも走る自分を応援してくれ、もはや毎週火曜は私の中で「リアタイ」というイベントだった。
8時開始では得られなかったこの楽しみ、ドキドキ、本当にありがとう。
そして、この「リアタイ」へ私を走らせた原動力が、中丸君の番組登場と共に現れた
公式アカウント「出番さん」
という存在。
KAT-TUNファンになるまでTwitterを一切してこなかった私にとって「公式アカウント」というのは「番組情報を教えてくれるもの」という認識であった。
しかし「出番さん」は違った。
「みんなと同じ目線に来てくれる」存在だった。
公式アカウントであるから「相互フォロー」ではないのに、多くのファンが「相互フォロー」をしている錯覚に陥るほど、「出番さん」はすごく身近にTwitterの中にいてくれた。
5月の当初、充電期間がどのようにすすんでいくのか先が見えなくて、とっても不安定な空気がまわりには充満していて、でもなんとか自家発電でみんなが頑張って乗り切ろうとしている中「出番さん」は現れた。
中丸くんは「充電期間中、コミュニティが薄れるのが心配」と言っていて、自らお知らせや繋がりを密にしようとしてくれていたけど、その中でも「出番さん」の存在にファンが助けられた部分は大きいと思う。
「出番さん」が番組後、長い時間をかけてリプやタグの中から一つ一つ「いいね!」をしてくれたこと、時には皆のツイートにリプをしてくれたこと、中丸君の番組の中での話を伝えてくれたこと、こうしたすべてのことは「出番さん」がやってくれたことだけど、同時に中丸くんとの「コミュニティ」を感じることでもあって、それが与えてくれた安心感や親密感は計り知れない。
もちろん「出番さん」が戦略的にも優れていたなぁと思うことは多々あって、冷静にその話を語りたい自分もいるけれど、それ以上に何よりも番組を見るファンを大事にしてくれたなぁとか、出番さんともう会えないのかなぁとかセンチメンタルな気持ちが「出番さん」に関しては勝ってしまう。
あの日、少し悪意を含んだ内容で番組終了のニュースが流れて各所が軽い混乱に陥った時に、「出番さん」がきちんとそのことについてお知らせをしてくれたこと、そのことを私はずっと忘れない。
秋の改編についての発表がまだのあの時期に、立場上極めて難しい判断だったと思うが、「出番さん」があの時教えてくれずもし本当のギリギリになって知ったらショックや混乱はもっともっと大きかっただろうし、悲しさはその数倍だったかもしれない。
でも「出番さん」が皆にきちんと伝えてくれて、最後まで番組作りを頑張ると言ってくれたから最後まで応援して、番組を楽しまなくちゃと思えた。
前向きに「最後」を迎えられるかどうかってすごくすごく大事。
そして前向きな「最後」なら次への希望が持てるとも思ってる。
たくさんの「特別」と「ありがとう」が「ニッポンの出番」にはありました。
心の底から『ありがとう』。
そして『かえってくるのを待っています』。
ポエマーにならないよう、いつものふざけた自分でいたいなと、最終回前に書いたのに結果思いっきりポエマーになってしまった・・。
罪作りな番組ですな・・(笑)
それでは火曜もスニーカー履いて、定時に飛び出して、最後の最後の走りで「リアタイ」目指して頑張るぞ!!
待ってろよ!!「ニッポンの出番」!!
大好きだぞ!!「ニッポンの出番」!!