気付けば人生、沼だらけ。

サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた日々の雑記、のはずが他にも扉を開き中。

愛あるディスり、について。

私にはテレビを見ながら喋る癖がある。

まぁ基本言っているのは本当にどうでもよいことで・・。

「なぜこのタレント今日こんな衣装で出ているのか」について勝手に想像して喋ったり、なんかタレントが謎の動きをしたりすると「オイw」と言ったり、本当他愛ないことである。

そんなノリでTwitterでも独り言を言ってることが多いし、昔から某サイトの実況板を見ながらテレビを見たりしてきているので、リアタイ者の多いTwitterの世界は居心地がいいなぁと思ってる。

 

けれど文字数が制限され、尚且つ言葉だけのツールであるTwitterって怖いなぁと思うことがこの1年半見ていて多かった。

その怖さは日本語という共通言語で話しているのに、共通の認識がそこに無いからなんだろうなぁ。

例えば先ほどの

 

「オイw」

 

 

字面ではわからなくても、私的には

 

「カタカナ+w」=笑顔で突っ込み。

 

「w」「(笑)」を多用する人はわかると思うのだけれど、基本この「w」「(笑)」をつけときゃ許されると思っているとこある。

短いセンテンスの言葉だろうが、少し荒めの言葉であろうが「w」「(笑)」つけとけばそこにあるのは悪意ではない。

・・つもりである、言っている本人にしてみれば。

 

しかしこの「w」「(笑)」にしても、語尾にこれがついてるだけで「なんとなく馬鹿にされてる」と思う人達もいて、その気持ちもわからなくもない。

 

これが共通認識が無いことの怖さなのだと思う。

 

普段のツイートを見てるフォロワーさんの中では「いつものことで」特に気にされることもなく流れていくことが、どこかに拡散された時に違う意味を持っちゃう。

 

怖いなぁ。

 

しかも拡散されていく過程で、その人達の手によって「ひどくないですか?これ!」とか注釈が加えられてくのが一番見てて怖い。

だってそれがホントに「ヒドイ」ことになっていく様子が見えるから。

 

KAT-TUN沼にきて約2年、KAT-TUNだけでなく色んなグループのファンの皆さんの様子を見て過ごしてきたけど、語弊を恐れず言うならば、私は所謂アンチさんもオンリーさんもアンリーさんもいて当然だと思うし、「愛」だけ叫んでればなんの問題も無いと思ってる。

すべての人がすべての人を好きになることはできないし、別になる必要もないんだもの。そして炎上しがちな方達が常にヒドイことを言ってるわけでは無くて、好きな人のことをただただ可愛らしく呟いてることもたくさんあって・・。

だからなんか周辺がザワザワしてるのを見かけたり、怒ってるのを見かけたら、その人のツイートに「愛」があるかを見に行く。

その人が愛あるツイートを普段している人なら、魔が差したのか、気圧でも下がってネガモードなのだなぁと思うだけである。

 

でもそういう風に流せない事や流せない人もいて。それもそれでしょうがない。

流せないことが悪いことじゃないし、それに対して怒ることだって自由なんだもの。

 

荒れがちな日々を見てると、発言した方と受け取って怒ってる方、どちらもなんというか10%位の濃度のはずなのに、そこ同志が当たって10×10=100になって最終的にいろんなとこを駆け巡って、駆け巡ってる内にどちらの当事者でない人々が加わって1000にも10000にも濃くなってドロドロしちゃってる感じがするのですよ・・・。

 

なんつーか最初はサラサラカルピスだったのに、いつの間にか原液より濃くなる的な・・。

原液飲むのしんどい。しかも不味い。

 

10%のサラサラカルピスならさ、たとえスタンダード派で葡萄味が嫌いでも飲もうと思えば飲めるっしょ?薄いんだから。

 

何かあるたびに思い出して冷静になって欲しい、原液カルピスの飲みづらさを・・。

それだけで周りのみんなも楽になるはず。

 

 

ところでね、人にはいろんな面があると思うのだけれど、純粋に愛を叫んで恥ずかしげもなくポエマーになりたい日もあれば、なんかへそ曲がりなことを言いたい日もあるし、やさぐれモードになる日もあって・・・自分は特にそうでして。

そんでもって勝手なもので、明るく楽しい日はそういう話題に触れてたくてネガモードのもの見るとややイラっとくるし、逆に自分がネガモードの時は楽しい人達にイラっときたり。

改めて書いてみると本当に勝手なものですね(笑)

 

このヤサグレモードに入っている時、たまに色んな事をイジッたり、ディスったりしたくなっちゃうんですよね。

でもそういう時、できるだけそこの根底にあるものを「(笑)」にしたいと思ってる。

これね実は面倒なことだったりするんですよ!

具体的に言いましょうね。

 

例えばね、うーん・・テレビに「オヤジ顔の可愛いとは言えない女の子」が出てたとしましょう。(あくまで仮定ッス)

 

「オヤジ顔のブス。」

 

ハイ、これ。愛ナシ。誹謗中傷です。。

 

誹謗中傷ダメ。一言見ただけで傷つくわ・・。

じゃぁね、

 

「オーゥ・・かわい・・うん・・カワイイと言えばカワイイとも言える♡

 オヤジ顔的可愛さwこれはこれで勝ち♡」

 

愛ある。うん。愛しかない。

 

え?どこが愛かって?

 

文字数ですよ。

 

いやただ文字数多いだけでなくて、正しくは言い換える手間の愛です。

 

言ってることは同じなのよ、「オヤジ顔のイマイチ」。

 

2個目のだって引っかかる方もたくさんいるだろうし、元を辿れば「容姿」についてあれこれ言うって時点でNGという人もいると思うのだけれど、友人の容姿を言うわけでもなくテレビを見ててそんなとこまで自制しなきゃならんの辛いッス。

 

でもなんとなーくそこにガチではないニュアンスを入れたいなと思うのね。

で、そんな面倒くさいこと愛が無ければできない。

けっこうカロリー使うんですよ・・。

でもそういう思いが伝わらず「ヒドイ」ことを言ってるって解釈されることもあったりするんですよね・・。

 

なんでこんなことを言い出したかというとね、先日KinkiさんのDVD見てて光一さんがなんとなく言ってた「ファンをディスる」的な発言に、やんわりと剛君が「ディスってたんかいw」と突っ込みながらそこの言葉を埋めてるとこを見まして。

 

光一さんが「愛」を持って発言してるのはもう見ててイヤってほどわかるし、なんならファンの皆さんは「よしキタ♡もっと言って♡」モードなのがガンガンに伝わってくるし、光一さんも「愛ある」的なことを言ってて(ニュアンスですいません)本来ならそこまでで既になーんの問題もないはずなんだけど、剛くんはきっとそういう風に受け取られないかもしれないリスクだったり、そういう笑いで言ってることでも傷ついてしまうタイプの人もいるなのだろうと、すべてをフワリと包むような優しい突っ込みと言葉の埋め方をしてて・・・。

 

あ、エラいなー・・・。

 

と思いました。

 

そして言い方難しいけど、生きにくい生き方をされてる人なんだなぁと感じたのです。繰り返すようだけど、光一さんの言い方で99・9%位発言の真意は伝わってるはずで、でも残りの0.1%への受け取られ方に気持ちがいくって常にそういう感じで生きていないと気づけないだろうな・・と。

ド新規だけど、なんかそういう一つ一つに心を奪われるなぁと思ったり。

 

・・話が逸れてKinkiさんの話になりそうになったので戻します。

 

まぁそんなことを気づかされ、あぁ私が普段言ってることも本当はもっと気にしなきゃいけないことがたくさんあるんだろなぁと思ったのです。

そしてきっと私が気づかないとこで、そっと言葉の足りない部分を誰かが埋めてくれてるんだろうなぁと。

ありがとうございます。

 

人の気持ちを100%わかることは無理で、そして言葉の真意を100%わかることももちろん無理で・・。

そこを推し量って気持ちや言葉をどう受け取るかは、自分達の経験や想像力や気持ちの問題なんだと思うんですね。

言葉や歌、外からくるすべてのものをどう受け取ってしまうかが自分次第なのだとしたら、できるだけキレイに、良いことに受け取りたいなぁと思ってる。

 

もちろんひどい誹謗中傷や汚い言葉で他人を罵りまくってる人もたまーに見て驚くけど、そういう時も「あーこの人にここまで言わす何かってなんなのかなー」とビックリしつつ見てます(笑)

 

自分がやさぐれモードに入った時は誹謗中傷にならないよう、どうか言い換えの一手間を。

そしてもし何かを見た時に腹が立ったなら、それが機嫌のよい時に見たなら気にならない一言かもしれないと立ち止まって考えられるようでいたいなぁと思う次第です。

 

皆が平和に楽しくオタ生活を過ごしたいものですね。