気付けば人生、沼だらけ。

サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた日々の雑記、のはずが他にも扉を開き中。

4月なので休職した話をしよう。

春ですね。

別れと出逢いの春。咲き誇る桜。鳥の声。ピンクの世界。

 

でも春って気持ちがふわふわして気温も上がったり下がったり、花粉も飛ぶしなんだか頭もスッキリしないし、どっちかというとあまり好きじゃないなぁと思う今日この頃。

 

とりあえず春を全面否定しましたが、この時期になると思い出すことがあります。

かれこれ5年前以上前の春に休職したこと、春だからその話をしておこうかなと思うのです。

春に不安な気持ちになる方に少しでも気づいてもらえることがあれば何よりです。

 

社会人生活を15年もやっていると色々立場が変わったり、難しいお年頃に突入したり苦労はつきものですが、数年ごとに「あーこれはダメかも」レベルのきつい時期がきたりしませんか?

 

私は入社から販売職一筋できたのですが5年ほど前立場が変わり、還暦超えの先輩達とポジションは同じだが一番年が若いというまったくもってやり辛い状況をその頃迎えておりました。

とりあえず手っ取り早く肩を並べるには先輩が誰も取っていない難関資格をとってマウントをとっちまえと、こっそり勉強して資格試験に合格し、そこに若者の青臭さで「今までの慣例とかくそくらえ」な恥ずかしいまでの意気込みを携えてそのポジションに乗り込んだ当時の私は、いま自分の部署に迎えると思ったら「マジかよ!絶対に嫌!」と思う程に可愛くない新人だった訳で、そりゃ女性しかいない部署で風当たりもなかなか強かった訳であります。

 

当時の私を振り返ると本当はどこまでも自信が無く、でもそこから逃げ出すのは絶対に嫌という完全なる「自分で自分を勝手に追い詰め」状態であり、今の私から当時の私に声をかけるなら、

「あー。大丈夫大丈夫。自分で思うほど他人のことなどまわりは気にしちゃいないし、あんたができようができまいが大した問題じゃないよ~」

に尽きるわけですが、「勝手に追い詰められ状態」の私はまったくその状態に気づいていなかったのです。

 

私の部署の仕事の中には新人社員への研修というのが含まれていて、今でもその業務はしているのですが、当時その練習をストップウォッチ片手の先輩社員の前で何日もするというのが続いていて。

正直、100人超えの就活生を前に話をしたりというのを経験もしてきたので、それ自体にはそんなに不安が無かったのですが、「ホワイトボードに喋りながら字を書くな。」とか「カタカナの『シ』の書き順が違う」だのの指摘をうけながら練習する日々は辛かった。

ぶっちゃけ「先生」ではないのだからど「それどうでもよくね??」と思ってました。

(今でもそう思ってる)

素直に言葉を聞けないようになっていった私にとっては、全部の指摘が揚げ足とりに聞こえたしアラ探しのように聞こえてて、だいぶ参っていたわけです。

 

ゴールデンウィーク明けに研修本番をひかえて3月頃からそんなのが続いていたのですが、4月には頭痛やほぼ寝れないみたいな状態に突入してました。

もともと生活が不規則だったからストレスのせいだとは思ってなかったのだけど、今思えばその頃大きく変わったのは「気分転換」がまったくできなくなってた点です。

 

当時の私が何気なく言ってたことはこのようなこと。

 

「最近ドラマ観る気がしないんだよね~」

「読みたい本がなかなかみつからない~」

「音楽聴くと疲れるんだよね~」

「本が最後まで読めないんだよなぁ」

「漫画欲しいのが無い」

「テレビつけてるとなんかしんどい」

「なんもしてないのに涙が出る。年かな~・・」

「何聴いても、何見ても心というか、気持ちがコトリとも動ないんだよね・・」

 

見てもらえばわかるようにだんだんとひどくなってます。

たぶん下の方はゴールデンウイーク頃ですね。

当時の休みはほぼ1日寝ていて、なんとかマッサージにだけ行くという日々。

少しづつ小さな石を積むように疲れとストレスが溜まっていってたんだなと今だとわかるし、もうこの時点で今なら「休みます」と言えてると思うのだけれどその頃は限界値がわからなかったので「なんかしんどいなぁ」と思いながら仕事を続けておりまして。

 

その間にも夜10時ごろに突然吐くほどの頭痛に襲われて救急で運ばれたりしたのですが、「最後の石」が積まれたのはずっと練習してた研修の当日のことでした。

 

午後に自分の担当パートが控えてたのですが、午前中先輩が講義をしてるのを聴いているときに人事のお偉いさんに呼び出され、「卒業した大学に研修終わったらリクルートに行って欲しい」とお願いされ(やることめちゃあるのにマジかよ!)と思いながら「ハイ」と答え、研修の部屋に戻るその廊下で……突然歩けなくなったのです。

 

世界が斜めになったような眩暈と吐き気。

眩暈にはいくつかの種類があると言われていますが、私のめまいは船が斜めになるようにまっすぐ歩いているつもりでも斜めに傾いていってしまう、視界が小刻みに揺れている、そういうタイプのものでした。

部屋にも戻れずとりあえず階段に座ってただただ涙だけが流れてる状態の私を、当時の部長が見つけビックリして人を呼んでくれたそうですが、その時のことがほとんど記憶がなく、呼び出されて迎えにきた旦那の車でそのまま病院に行き入院となりました。

 

入院した先は脳外科で、MRIやらなんやらで検査されその間も眩暈は止まらず視界から入ってくるものすべてが刺激となって目を開けていられない状態がずっと続いていて。

検査中の脳の血管に気になる箇所があったりはしたものの(今でも定期的に検査してます)、眩暈の直接的な原因は見つからず3日間入院した後自宅に帰されました。

 

帰る最中もなにかに掴まらないと斜めに床を落ちてしまいそうな感覚がずっとあり、パニックのような状態が続いてました。

恐らくVRで観る景色ってあんな感じなんだろうな・・。周りからみたら「え?なにww」な状態だけど、こっちは掴まってないと転がっちゃいそうな感覚がずっとあって。

 

帰宅したものの仕事に行ける訳もなく、ひたすら寝て旦那の休みには各所の病院をまわりました。

脳神経外科、耳鼻科、内科、色んな病院をまわって検査をしての繰り返し。

当時眩暈と共に辛かったのが「音」とそして「光」。

 

病院の待合室の子供の声、蛍光灯の光、すべてが矢のように飛んでくる感じ。

テレビもダメ。

テレビの映像ってスゴイ早さで切り替わってるんですよ、そしてほんの少しの画面の揺れにも耐えられない。人を映してたカメラがモノを映すので切り替わるとするじゃないですか。そのたびに地面の高さがリセットされるというか、いま見てる映像の「定位置はココ」って目と脳が認識したのにそれが一瞬一瞬で変わるというか。

なんというか崖をよじ登ってて落ちないように次のでっぱりに掴まろうと目で見て「ここだな」と確認したのに、その出っ張りの位置が毎回変わるみたいな感覚がテレビみてるとあって、カメラが変わるごとに吐きそうだった。

あと耳もそうで、耳がギリギリ耐えられる静かな番組見てたのに、CMになると音の大きさが変わるんですよ。デカくなる。そのちょっとした音の差が、普段の数10倍にも感じられてCMの音で何度か倒れそうになったり。

 

テレビも観れず音楽も聴けずどうしたらよいのかと思う日々が続いてた頃、ネットで色々旦那が調べてくれた脳神経外科に行ってそこの先生に救われました。

詳しくどんな症状が出ているのかをじっくり聞いてくれて、その時に私が何度も言ったのは、

 

「神経が剥き出しになってる感じなんです」

 

ということでした。いまでもそれがあの頃の自分の状態を一番伝えてくれると思ってます。私のイメージのなかでは神経って、なんというか血管の中というかマカロニみたいな中に神経があって守られてる感じなんですよ。

なんかの刺激に対して、それがムニュっと守ってくれてるというか。

でも当時の私はその周りにあったものが全部無くなって、皮がむけて生の中身が見えてる傷みたいに剥き出しな感じ。

風が吹いても重度の火傷が痛いようにどんなものにも、見境なく耳やなんもかもが反応してる感じ。

そんな風に話した私に先生は、

「そりゃ辛いね・・。検査は他でも色々したんだよね?じゃとりあえず少しだけ寝ようね」と薬を出してくれました。

 

その薬を飲んで約1か月ぶりによく眠り、ほんの少し薄皮が神経のまわりにできたような感覚が自分にあって、2日後にまた先生のとこに行ったときにそう伝えました。

「そうかぁ!眠れて良かった!検査は今日はもういいよ。あとね、病院を紹介するからね。あなたに必要なのは脳を調べることではなくて心療内科だと思うよ」

先生はそう言って紹介状をくれました。

 

自分が心療内科に行く日がくるとは思わなかったけど、あの時「あーこの状態から抜け出せるんだ」と心底ホッとしたのを覚えてます。

その後紹介された病院でもらった薬を飲み、少しづつ耳も目もめまいもやわらぎ、やがて仕事の場に私は戻りました。

その後はそうした症状と付き合いながら、調子が悪い時は薬も飲むし休むしという選択肢を持って過ごしてる。

 

もし、あのときあのままの状態がもう少し続いたら、もしかしたらいま私はここにいないかもなぁと思う時があります。

それくらいしんどかった。

あの時の私の神経の過敏さを数値や目視できる状態にできないことがもどかしい。

傷や数値にあらわれないことで苦しんでる人がたくさんいること、聴覚過敏やめまいはまわりにはわからないけど身体も心もすごく苦しいんだとあの時学べたのは良かったと思いながらも、今でもまたあの状態になるかもという不安をもったまま生きてるとこはあったりします。

 

だからこそ、いま

「なにかを楽しめない」とか「涙がすぐ出てくる」とか「息がしづらい」とか「なんだか変だなぁと思う人がいるなら、「最後の石を積む」前に対処して欲しいなぁと強く思います。

対処をすることは弱さでなく強さで、結果的は自分を自分で守ることになるから。

 

春は素敵な季節だけど、卒業したり異動したり、お子さんの卒業や入学やら、自分もまわりも変化する時だから、どうぞ皆が自分とまわりに優しくなれる時間をもって過ごして欲しいなぁ。

平和で優しく温かい毎日が皆さんを包むよう願ってます。

 

以上、ちょっと重い話、でした。