気付けば人生、沼だらけ。

サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた日々の雑記、のはずが他にも扉を開き中。

4月なので休職した話をしよう。

春ですね。

別れと出逢いの春。咲き誇る桜。鳥の声。ピンクの世界。

 

でも春って気持ちがふわふわして気温も上がったり下がったり、花粉も飛ぶしなんだか頭もスッキリしないし、どっちかというとあまり好きじゃないなぁと思う今日この頃。

 

とりあえず春を全面否定しましたが、この時期になると思い出すことがあります。

かれこれ5年前以上前の春に休職したこと、春だからその話をしておこうかなと思うのです。

春に不安な気持ちになる方に少しでも気づいてもらえることがあれば何よりです。

 

社会人生活を15年もやっていると色々立場が変わったり、難しいお年頃に突入したり苦労はつきものですが、数年ごとに「あーこれはダメかも」レベルのきつい時期がきたりしませんか?

 

私は入社から販売職一筋できたのですが5年ほど前立場が変わり、還暦超えの先輩達とポジションは同じだが一番年が若いというまったくもってやり辛い状況をその頃迎えておりました。

とりあえず手っ取り早く肩を並べるには先輩が誰も取っていない難関資格をとってマウントをとっちまえと、こっそり勉強して資格試験に合格し、そこに若者の青臭さで「今までの慣例とかくそくらえ」な恥ずかしいまでの意気込みを携えてそのポジションに乗り込んだ当時の私は、いま自分の部署に迎えると思ったら「マジかよ!絶対に嫌!」と思う程に可愛くない新人だった訳で、そりゃ女性しかいない部署で風当たりもなかなか強かった訳であります。

 

当時の私を振り返ると本当はどこまでも自信が無く、でもそこから逃げ出すのは絶対に嫌という完全なる「自分で自分を勝手に追い詰め」状態であり、今の私から当時の私に声をかけるなら、

「あー。大丈夫大丈夫。自分で思うほど他人のことなどまわりは気にしちゃいないし、あんたができようができまいが大した問題じゃないよ~」

に尽きるわけですが、「勝手に追い詰められ状態」の私はまったくその状態に気づいていなかったのです。

 

私の部署の仕事の中には新人社員への研修というのが含まれていて、今でもその業務はしているのですが、当時その練習をストップウォッチ片手の先輩社員の前で何日もするというのが続いていて。

正直、100人超えの就活生を前に話をしたりというのを経験もしてきたので、それ自体にはそんなに不安が無かったのですが、「ホワイトボードに喋りながら字を書くな。」とか「カタカナの『シ』の書き順が違う」だのの指摘をうけながら練習する日々は辛かった。

ぶっちゃけ「先生」ではないのだからど「それどうでもよくね??」と思ってました。

(今でもそう思ってる)

素直に言葉を聞けないようになっていった私にとっては、全部の指摘が揚げ足とりに聞こえたしアラ探しのように聞こえてて、だいぶ参っていたわけです。

 

ゴールデンウィーク明けに研修本番をひかえて3月頃からそんなのが続いていたのですが、4月には頭痛やほぼ寝れないみたいな状態に突入してました。

もともと生活が不規則だったからストレスのせいだとは思ってなかったのだけど、今思えばその頃大きく変わったのは「気分転換」がまったくできなくなってた点です。

 

当時の私が何気なく言ってたことはこのようなこと。

 

「最近ドラマ観る気がしないんだよね~」

「読みたい本がなかなかみつからない~」

「音楽聴くと疲れるんだよね~」

「本が最後まで読めないんだよなぁ」

「漫画欲しいのが無い」

「テレビつけてるとなんかしんどい」

「なんもしてないのに涙が出る。年かな~・・」

「何聴いても、何見ても心というか、気持ちがコトリとも動ないんだよね・・」

 

見てもらえばわかるようにだんだんとひどくなってます。

たぶん下の方はゴールデンウイーク頃ですね。

当時の休みはほぼ1日寝ていて、なんとかマッサージにだけ行くという日々。

少しづつ小さな石を積むように疲れとストレスが溜まっていってたんだなと今だとわかるし、もうこの時点で今なら「休みます」と言えてると思うのだけれどその頃は限界値がわからなかったので「なんかしんどいなぁ」と思いながら仕事を続けておりまして。

 

その間にも夜10時ごろに突然吐くほどの頭痛に襲われて救急で運ばれたりしたのですが、「最後の石」が積まれたのはずっと練習してた研修の当日のことでした。

 

午後に自分の担当パートが控えてたのですが、午前中先輩が講義をしてるのを聴いているときに人事のお偉いさんに呼び出され、「卒業した大学に研修終わったらリクルートに行って欲しい」とお願いされ(やることめちゃあるのにマジかよ!)と思いながら「ハイ」と答え、研修の部屋に戻るその廊下で……突然歩けなくなったのです。

 

世界が斜めになったような眩暈と吐き気。

眩暈にはいくつかの種類があると言われていますが、私のめまいは船が斜めになるようにまっすぐ歩いているつもりでも斜めに傾いていってしまう、視界が小刻みに揺れている、そういうタイプのものでした。

部屋にも戻れずとりあえず階段に座ってただただ涙だけが流れてる状態の私を、当時の部長が見つけビックリして人を呼んでくれたそうですが、その時のことがほとんど記憶がなく、呼び出されて迎えにきた旦那の車でそのまま病院に行き入院となりました。

 

入院した先は脳外科で、MRIやらなんやらで検査されその間も眩暈は止まらず視界から入ってくるものすべてが刺激となって目を開けていられない状態がずっと続いていて。

検査中の脳の血管に気になる箇所があったりはしたものの(今でも定期的に検査してます)、眩暈の直接的な原因は見つからず3日間入院した後自宅に帰されました。

 

帰る最中もなにかに掴まらないと斜めに床を落ちてしまいそうな感覚がずっとあり、パニックのような状態が続いてました。

恐らくVRで観る景色ってあんな感じなんだろうな・・。周りからみたら「え?なにww」な状態だけど、こっちは掴まってないと転がっちゃいそうな感覚がずっとあって。

 

帰宅したものの仕事に行ける訳もなく、ひたすら寝て旦那の休みには各所の病院をまわりました。

脳神経外科、耳鼻科、内科、色んな病院をまわって検査をしての繰り返し。

当時眩暈と共に辛かったのが「音」とそして「光」。

 

病院の待合室の子供の声、蛍光灯の光、すべてが矢のように飛んでくる感じ。

テレビもダメ。

テレビの映像ってスゴイ早さで切り替わってるんですよ、そしてほんの少しの画面の揺れにも耐えられない。人を映してたカメラがモノを映すので切り替わるとするじゃないですか。そのたびに地面の高さがリセットされるというか、いま見てる映像の「定位置はココ」って目と脳が認識したのにそれが一瞬一瞬で変わるというか。

なんというか崖をよじ登ってて落ちないように次のでっぱりに掴まろうと目で見て「ここだな」と確認したのに、その出っ張りの位置が毎回変わるみたいな感覚がテレビみてるとあって、カメラが変わるごとに吐きそうだった。

あと耳もそうで、耳がギリギリ耐えられる静かな番組見てたのに、CMになると音の大きさが変わるんですよ。デカくなる。そのちょっとした音の差が、普段の数10倍にも感じられてCMの音で何度か倒れそうになったり。

 

テレビも観れず音楽も聴けずどうしたらよいのかと思う日々が続いてた頃、ネットで色々旦那が調べてくれた脳神経外科に行ってそこの先生に救われました。

詳しくどんな症状が出ているのかをじっくり聞いてくれて、その時に私が何度も言ったのは、

 

「神経が剥き出しになってる感じなんです」

 

ということでした。いまでもそれがあの頃の自分の状態を一番伝えてくれると思ってます。私のイメージのなかでは神経って、なんというか血管の中というかマカロニみたいな中に神経があって守られてる感じなんですよ。

なんかの刺激に対して、それがムニュっと守ってくれてるというか。

でも当時の私はその周りにあったものが全部無くなって、皮がむけて生の中身が見えてる傷みたいに剥き出しな感じ。

風が吹いても重度の火傷が痛いようにどんなものにも、見境なく耳やなんもかもが反応してる感じ。

そんな風に話した私に先生は、

「そりゃ辛いね・・。検査は他でも色々したんだよね?じゃとりあえず少しだけ寝ようね」と薬を出してくれました。

 

その薬を飲んで約1か月ぶりによく眠り、ほんの少し薄皮が神経のまわりにできたような感覚が自分にあって、2日後にまた先生のとこに行ったときにそう伝えました。

「そうかぁ!眠れて良かった!検査は今日はもういいよ。あとね、病院を紹介するからね。あなたに必要なのは脳を調べることではなくて心療内科だと思うよ」

先生はそう言って紹介状をくれました。

 

自分が心療内科に行く日がくるとは思わなかったけど、あの時「あーこの状態から抜け出せるんだ」と心底ホッとしたのを覚えてます。

その後紹介された病院でもらった薬を飲み、少しづつ耳も目もめまいもやわらぎ、やがて仕事の場に私は戻りました。

その後はそうした症状と付き合いながら、調子が悪い時は薬も飲むし休むしという選択肢を持って過ごしてる。

 

もし、あのときあのままの状態がもう少し続いたら、もしかしたらいま私はここにいないかもなぁと思う時があります。

それくらいしんどかった。

あの時の私の神経の過敏さを数値や目視できる状態にできないことがもどかしい。

傷や数値にあらわれないことで苦しんでる人がたくさんいること、聴覚過敏やめまいはまわりにはわからないけど身体も心もすごく苦しいんだとあの時学べたのは良かったと思いながらも、今でもまたあの状態になるかもという不安をもったまま生きてるとこはあったりします。

 

だからこそ、いま

「なにかを楽しめない」とか「涙がすぐ出てくる」とか「息がしづらい」とか「なんだか変だなぁと思う人がいるなら、「最後の石を積む」前に対処して欲しいなぁと強く思います。

対処をすることは弱さでなく強さで、結果的は自分を自分で守ることになるから。

 

春は素敵な季節だけど、卒業したり異動したり、お子さんの卒業や入学やら、自分もまわりも変化する時だから、どうぞ皆が自分とまわりに優しくなれる時間をもって過ごして欲しいなぁ。

平和で優しく温かい毎日が皆さんを包むよう願ってます。

 

以上、ちょっと重い話、でした。

 

 

 

 

 

 

 

2018年 まとめてぜんぶ、ありがとう!

2018年が終わりますね。

去年の大晦日に同じようなことを書いてたのが昨日のことのように感じるのに、驚くほどあっという間に365日経っちゃったんだって!!

 

中丸君のくるぶしについて書いたりしてたブログも、時と共にふざけにくくなり随分書く機会が減ってしまっていたのですが、とりあえず年の瀬なので総まとめだけしとこうかと思う次第であります。

 

2018年は、Kinkiのコンサートで堂本剛沼に堕ちたことから始まりました。

元旦の新幹線に単独乗り込むとまさかのカウコン帰りのKAT-TUN友に偶然出会うなどというなかなかにドラマティックなこともありつつ、キャッキャッしながら向かった大阪で思いっきり沼堕ちして1月2日に帰ってくる新幹線ではFCに入会しておりました。

思えばあの日に今年の1年は運命づけられたとしか思えません。

 

 

その後の2~4月は今思えば意外と平和な日々を過ごし、KAT-TUN復活の日を迎えたわけです。

 

 

pepeka.hatenablog.com

 

KAT-TUNの復活を見届け、Twitterのたくさんのお友達にご挨拶をさせて頂き、私にとってひとつの区切りができました。そして・・

 

「ひとつの時代が終わり、ひとつの時代が始まるー」

 

まさにそう言いたくなるようなタイミング、UNIONの公演が終わりドームの席を離れスマホを開くとそこには・・・ENDRECHERI 堂本剛さんのLIVE当選のメールが届いておりました。

 

正直そこからは怒涛過ぎて、そして色んな事があり過ぎてブログに書ききれるような日々では無くってですね・・・

ENDRECHERIのZepp初日、真夏の名古屋、平安神宮東大寺・・・わたしの平成最後の夏は間違いなく「堂本剛の夏」でした。

 

実はそこで感じたことを言葉にするのは非常に難しく、とてもデリケートな薄い氷の上を歩くような気持ちになったりします。

ライブのことを思い出すときにとても暖かで穏やかで楽しく幸せな気持ちになるのだけれど、でもほんの少し足の置き場を間違って氷を割ってしまったらとても冷たく暗い水の下で光を探して苦しむような、そんな危うい感情を常に孕んでいるような気持ち・・。

なので言葉で綴るより、あの楽しい音を純粋に楽しもう!と、そう思ってブログを書くこともなくなってしまった訳です。

いつかまたゆっくり楽しい気持ちだけでこの夏の思い出は書けたらなぁと思ってます。

 

 

2018年振り返ると大きな大きな実りのある年だったなぁと思うのが、「人との出会い」でした。

結婚しててでも子供はおらず、転職経験なしそして社内での繋がりは求めていない、そんな生活の中で交友関係はこの15年ほどまったく広がらなかったのですが、一昨年KAT-TUNに出会いTwitterを始めて少しずつその輪が広がり今年大きく実ったような気がします。

UNIONで初めて会えた多くの皆さん、そしてそんな皆さんと話すうちにまた輪が広がり、新しい方達にも出逢う……。

 

いろんな町には旅や仕事で行くのに生まれて40年もの間、奈良・京都に一度も行ったことが無いってのは私のネタのひとつでしたが、お友達のおかげで今年は数えきれないほど行きました。しかも初の奈良はほんの数分で「呼ばれなければ行けない」と言われる天川に決まったり、とんとん拍子に京都のお友達に会う機会を得たりと思い起こせば不思議な1年だったなぁと思います。

 

そしてNACKSの本公演、ALFEE東方神起のコンサートに行ったりと、新しいフィールドに連れ出してもらう機会が多く、人生にはまだまだ楽しいことがあるんだなぁと実感もしました。

興味があっても自分一人ではなかなか億劫になってしまうところへ連れてってくれる人達は、「外」を見る「翼」をくれる人で、これから先はゆっくりと私も誰かの翼になりたいなぁなんて、思っています。

 

 

「外」だけなく今年は「内」で優しく包んでくれる人達にもたくさん助けてもらいました。

以前に少しだけブログでも触れましたが姉の病気のこともあり、気持ちが折れそうになったり揺らいだり、「不惑」ってマジでなんですか?的な1年でありましたが、そのたびにTwitterやらなんやらでブツブツ言うわたしを、見守ってくれる暖かい目を感じていました。本当に感謝しかないです。ありがとう。

 

ありがとうと色んな人へ言いたいなぁという気持ちで、1年を終えることができること、それはすごく幸せなことだと思うので、そう思わせてくれる皆さんに心から感謝です。

 

 

なんだか穏やかに年の瀬を迎え、来年はどんな年になるのかなぁといまボンヤリと考えています。

願わくはただひとつ。

世界中が平和でありますようになどと大それたことは願いませんので、せめて自分の瞳に映る、家族や友達、相互さん、フォロワーさん、アイドルや演者さんが笑える機会がたくさんありますように・・・。

 

・・・まずはとりあえず亀ちゃんソロコンもUNIONとCASTも、ケリーも円盤化を早急にお願いしますよ!事務所さん!!←

 

どうぞ皆様、2019年も面白楽しく、よろしくお願い致します。

 

2018.12.31

 

 

 

 

 

 

KAT-TUNと皆に、たくさんの「ありがとう」。

予定通りにすべてが進んでいればこれを皆さんが読んでる頃には、KAT-TUNの充電完了ドーム公演が終わり、私は誕生日を迎えて40歳になり、そして・・・KAT-TUNの「茶の間ファン」になっているはずである。

 

 

 「人が恋に落ちるのに1秒もいらないって、あれホントな!!」

と叫びながら、亀梨くんに釘付けになった2015年12月26日。

 

pepeka.hatenablog.com

 

 

初めて買ったKAT-TUNのDVD「quater」初回限定盤ソロアングルで中丸君へ「イヤモニ堕ち」した2016年3月16日。

 

 

出張中の長野で運命に身を任せ、KAT-TUNのドーム公演へのチケットを手に入れた4月16日。

 

pepeka.hatenablog.com

 

 

・・・どうでも良いけど、「6」がつく日ばかりで今更ながらにビックリした。これから「6」のつく日に気を付けようかな。

まぁ、そんなことはどうでも良いとしてその時々の気持ちをいつもここには書いてきたつもり。

興奮しながらコロコロと坂を転げ落ちていく様子も、色んな事にモヤモヤしてたり、悲しくなったり、祭りに浮かれてみたり、お姉ちゃんの病との闘いを見守ることに疲れた時KAT-TUNが支えになってくれ手術が成功したよ、という話についても、今は残念ながら状況はすっかり変わってしまったけど、あの頃の気持ちがそのまま書いてある。

 

 

そしてKAT-TUNのファンになって2年半、あっという間の短い期間にたくさんの「初めて」を知ったなぁとブログを読み返して思い出してる。

 

初めて買ったジャニーズのCDとDVD、形態の多さに度肝を抜かれて、初めて買ったアイドル誌、キラキラのページに目が眩んだ。

 

今では当たり前に感じる数々がとても新鮮で、「フラゲ」という言葉も初めて知ったんだよなぁ。情報収集と、同じように盛り上がれる仲間が欲しくてTwitterを始めて、もっともっとたくさんの「初めて」を体験した。

 

初めてのカラオケ屋での鑑賞会、大画面でDVDを観る楽しさ、ワイワイ観たっけね。

初めてのハニートースト、割り箸で刺されたKAT-TUNの写真に言葉を失ったっけ・・。

 

初めてアイドルの誕生日を祝って、テレビ番組を録画して残すためにブルーレイレコーダーを買ったよね。

テレビを見るために走って帰って・・。初めての「ファンレター」はニッポンの出番の「出番さん」だった。(ごめん。KAT-TUNには書いてない・・)

 

亀ちゃんのコンサートでは初めての「遠征」と、初めての「多ステ」。初めての地にたくさん行った。

中丸君の舞台では「一人舞台」を初めて観たし、「初めまして」の人にたくさん会った。

 

40歳を前にこんなにたくさんの「初めて」があるんだということを知った2年半。

そのほとんどがTwitterで知り合った皆のおかげだし、そのTwitterでの出会いやすべての「初めて」をくれたのはKAT-TUNでした。本当にありがとう。

心からKAT-TUNを知って、良かったなぁと思う。

「ジャニーズ」という存在に偏見をもってずっと生きてきて、今でもその片鱗が無いとは言えないけど、でも「ジャニーズ」という中で生きてくこと、「アイドル」として生きていくことがどれだけ大変か、どれだけの努力と覚悟と才能が必要かというのを、KAT-TUNや他の人達からも学んだよ。

いまでも「アイドル」という括りにいるだけで、色眼鏡で見てしまう人はたくさんいると思う。相変わらず自分のリア友にはジャニーズファンはいないし。

でも自分は色眼鏡を外すことができて、本当に良かった。

一番ハードルが高かったところを超えたことで、他の色々も受け入れることができるようになった気がする。なんか大げさだけど、人としての容量の幅を少し広げてもらった気がするの。本当にありがとう。

 

 

だからこそ、ほんの少しだけ距離を置こうかなと思ってる。

本当はこのまま色々なことを楽しみにしながら、ずっと応援していくのが「ファン」なんだと思う。でも大人になっても沢山の「初めて」がこんなにあって、こんなに楽しいんだと知ってしまって、今の私は2年半前と同じ気持ちでテレビや雑誌のKAT-TUNを見て心躍らすことができなくなっちゃったみたい。

応援はしてる。とても好きだし、きっとドームに観に行ったらすごく興奮すると思う。でもテレビを楽しみにして雑誌を心待ちにする皆と、同じ温度を自分が保ってないなぁと思ってしまって。そんな自分を私が一番残念で、一番寂しく感じてる。

原因なんて大層なものも、この状況へのきっかけも特には無くて、きっと今の「私」といまの「KAT-TUN」の周波数がほんの少しだけズレてしまったのかなぁ。

 

いろんな人と人生の切れっ端がほんの少しずつだけ重なって、毎日は成り立っていると私は思ってるのだけれど充電期間のKAT-TUNと、色んなものを抱えた自分が上手く重なったのだろうな。そしてその「充電完了」を見届けられて、私はすごく満足。

本当は充電を終えてのここからの方がきっときっとすごく大変なんだと思うのだけれど、そこはきっとまた私ではない誰かの人生とうまく重なって少しずつ誰かが応援していくんじゃないかなと思ってるの。(CDは買うからね!)

 

 

充電から半年の時期に書いたブログに自分でこんなこと書いてた。

 

この充電期間を「中丸雄一というアイドルがどう乗りきるのか」 それが私がKAT-TUNの存在を知り、ハマった一番の要因かもしれないなぁと最近思うのです。

「半年を経て、思うコト。」 - 気付けば人生、沼だらけ。

 

 

きっとこれを見届けるのがいつからか私のゴールになってたのかも。

中丸君、毎日の校長室の更新や舞台での質疑応答、見事でした。

新しいやり方で、できるだけ皆との繋がりを持ってくれたことありがとう。

たくさんの事を学んだよ。

 

これからは新しい歴史をKAT-TUNの3人で重ねていくのを、そっと見守っていきたいなと思います。

 

たくさんの「初めて」とたくさんの「出会い」と、たくさんの「幸せ」をありがとう。

今日からの未来にもメンバーやファンの皆さんにたくさんの「幸せ」がありますよう心から願ってます。

 

音に色があるならば。~堂本剛「雨恋」が好きすぎる~

最近ずっと、「雨恋」を聴いている。

寝る前にエンドレスで聴いている。

 

少しずつCDやDVDを買い集め、聴いたり見たりしているのだけど、歌いだしの一音から心を持っていかれた「雨恋」。

 

剛くんの声はなんでこんなに不思議なんだろう。

すごく独特な響き方をするよね??

優しくものすごく伸びやかに、響く。

そっとまるく声が響く。

 

私は音楽に詳しくないし、色んな音楽を聴くわけでもないのだけれど、剛くんの歌声を聴いている時の気持ちよさは他の誰とも違うように思う。

 

ソロで出しているものをできるだけ古い方から順番に聴いていて、最初の頃の「まっすぐ」に届けようとしている声も歌い方も凄いとは思うのだけれど、「雨恋」「EENEN」「ある世界」の3曲は私の中でものすごく特別な感じ。

 

声の響き方・声の厚みというか「質量」みたいなものを感じる。でもそれでいて軽やか。

力が抜けた、力みのない、心もリラックスするような声。

不思議だなぁ・・・。

 

剛くんの歌声を聴いていると「色」を感じることがとても多い。初期は「赤」や「黒」や「青」が見える。強い色、きつい色、気持ちが声の強さにも出ていて、胸に迫るものはあるけれど聴いていて少しだけダメージをくらう感じ。

 

でも最近の歌からは、暖かい色を感じる。

特に先ほどあげた3曲からは、まぁるいやわらかなハチミツみたいな色が、歌う口元から前に出ているのでなく、剛くんからまぁるくキレイでふんわりとした光のように出ているみたいに感じる。まるで発光してるみたい。

でもそれでいてほんの少し悲しい薄い青い色が、まぁるいハチミツ色の後ろに見える感じ。

 

音楽を聴いてると「色み」っていうのは意識するしないの違いはあれど、きっとみんな感じてると思うんです。

「え?」って今もし思ってる方いたとしても、「明るい曲だなぁ」「暗い曲だなぁ」とか感じたりしますよね?「明るい=黒」にならないように、感情やイメージにはいつも様々な「色」がついてるわけで。

 

でもそれを「曲」でなく「歌声」から感じることってほとんど無かったのだけれど、つよしくんは発する一声一声に色がついているようで、歌声で描かれていくその世界がすごく複雑な絵画みたい。柔らかな色を重ねて作られた歌もあれば、濁った色や重たい色も含んでてひとつひとつを見ると少し気持ちが重くなるけど、離れて見るとキレイに見える絵画のような歌もあって、その表現力みたいなものに驚いてしまう。

 

語彙力も芸術方面にも疎い自分だけど、KinKiさんの歌も剛君の歌もCDで聴くより実際に歌ってるのを聴くと本当に上手い方達なんだなぁと感じることが多くて。

これは私の偏見なのかもしれないけど、全体的にジャニーズさんの歌って実際に聴くよりCDの方が上手いというイメージがあって、でもKinKiさんも剛くんも実際に聴く方が音が豊かな感じがあるよね。

なんというか「生」を遊ぶような、その場の空気に合わせて変えていくだけの余裕がある・・。

本当に何目線で言ってんだという失礼さかもしれないけど、コンサートDVDを観て改めてそう思った。

 

今の剛くんの耳の話がある中でこういうブログをあげるのよいのかなぁと思わなくもないけど、ド新規だからこそ、たまーにテレビで歌うKinKiさんを思い入れなく見てた頃には気づかなかったことを、今たくさんのDVDを感動をおぼえつつ観ることができてるんだよなぁ。

 

このところケリーさんのほうの映像を観たりすることが多かったのだけれど、やっぱり私はKinKiさんのもソロのも両方好きだなぁと思ってて。

ベクトルが違うから、どっちかなんて選べないし、両方があるからこそ両方がより生きてくるって感じがする。

 

それをすごく感じたのがねUNPLUGGEDを観てて、光一くんが声を張ってまっすぐに力強く声を届けてるときに、隣のつよしくんがそこにフワッと声をのせたとき。マイクを離していく光一くんと、マイクを近づけて歌う剛くん。

「二人で歌う」からこそできることで、まさに調和だった。

 

一人で歌うだけの道でなく、剛くんがKinKiとして歌っててくれて、隣にいるのが光一くんで良かったなぁと思ったよ。

 

色んなグループに色んな出来事があって少しずつその形を変えてくことを否定することはできないけど、「一人だからできること。二人だからできること。」それぞれの道を究めようとしながらも、それを持ち帰ってまた違う顔を見せてくれるなんてファンにとっては1番嬉しいことだよね。

 

剛くんの歌声はたくさんの色を、絵を、見せてくれるけど、光一くんと歌うときにはもっと違う絵ができる。

 

いまのお耳と話しながら、来月にはどんな色を見せてくれるのかとてもとても楽しみにしてます。

 

 

ファンってなんなのでしょうねぇ、という雑記。

アナタにとって「アイドルってどんな存在ですか?」

 このところそんなことを考えます。

 

アイドルでなく、俳優でも芸人でも声優でもなんでも良いのですが、アナタの好きな「その人」は、あなたにとってどんな存在なんでしょうか。

 

ファンは自分の好きな人に何を求めて、そして何を背負わせてしまってるのだろう。

 好きな対象に「救い」を求める行為は、もしかして相手に負荷を与えてしまうことになるのかなぁ。

 なんてことを最近よく考えます。

冬、だからかな?

 

いやそれにしてもまさかこんなことを考える日が来るとはね・・。

ずいぶんと一人語りの話になりそうなのですが、もしかしたら私と同じような考えの方が少しでもスッキリしてくれればと思うので、ちょっと今回はツラツラと書かせて頂こうかと・・。

 

もともと私は広く浅ーく色んなものに興味を持って生きてきて、何かに一途にハマり続けたという経験がないんですよ。

一応サザンは20年近くファンクラブに入っていて、コンサートがあれば申し込み当たれば観に行くし、CDやアルバムやDVD発売されれば予約して買いはします。

でも予約して到着するまで発売日忘れてるし、届いても観なかったり・・あれ?書くとなかなか酷いな・・。

あとは好きな作家の本はすべて集めて買ったりするし、観たい映画とか芝居があったら軽率に足を運んだりはする。

 

その都度ハマったものに対してはそれなりの敬意を持って、お金を落としてきた感じ。

 

そんなゆるーい自分が、この2年ジャニーズファンと呼ばれる人々の中に、ひょっこり飛び込んでみて感じたことがあります。

 

「あぁ・・良くも悪くも愛が重い・・。」

 

もちろんファンや、その気持ちを否定するわけじゃないです。

今までにも繰り返し書いてきたことだけど、私は基本どんな意見も否定しないッス。

もちろん犯罪とか「人して許される一線」みたいな基準は持ってるけど、それぞれがどんな考えを持とうがそれは自由だし、一種の諦めみたいな気持ちも持ってて。

例えそれがオンリーだろうがアンリーだろうがその人がそう思っちゃうなら、私は受け入れはしないけどその方の考えだからしょうがないという感じ。それぞれのテリトリーに乗り込んでそれを否定した時点で、その受け入れられない考えより更にタチが悪いと思ってるんですよ。

 

なので今回の私のブログも、そんな一個人の意見として受け入れて頂ければ幸いです。

 

2年前KAT-TUN沼に堕ちて、生まれて初めてジャニーズとそれを取り囲む世界にきたのですが、そのことに関しては初期のブログを読んで頂くとして(なんせ話すと長い)、

 それまでどちらかというとサブカル界隈で生きてきてアンチジャニーズ的なところがあったし、友達にもジャニーズファンだった子が一人もいないという世界にいたので、沼に堕ちてのこの2年すべてが新鮮で楽しかったです。

 

一番最初、充電期間に入ろうかというKAT-TUNにハマることに躊躇したものでしたけどあの頃それを跳ね飛ばすが如く、大喜利に勤しんだり、悲しみに打ちひしがれることなく新規勧誘したり、「笑い」と「洒落」と「変態的な愛」を叫ぶ人々を見て、私のジャニーズファンのイメージは180度変わりました。

 

「あ、KAT-TUNファン、好きかもしれない」と思ったのです。

 

「笑いにできる」「変態的な愛を叫ぶ」、このどちらも実は第3者的な目を持っていないとできないことだから。

そして悲しみや苦しみを何かに転換して、日々を生きるような人の強さが好きだから。

 

でも今思うとこれ、もしかしたら少しだけ勘違いしてたのかもしれないなぁ。

あの時本当にキツかった人の多くは、表に出て来ないで、悲しみの底にいただけなのかもしれない。

 

で、少しづつ色んな暗闇をそれぞれが抜け出して、そして逆に少しづつ身を潜めていく方が増えて来て・・。

 

いまなんだか私がこの沼に来た時の空気は無くなってきたなぁと感じてる。

 

応援したり、歌を褒めたり、言葉に感動したり、演技を賛美したり、それはその人がそう感じてることだから大いに声高に叫んでもらって良いと思うんですよ。

 

でもさ、「いやいや、それは無いぜw」みたいな瞬間、本当はありますよね??

「正直、今日の顔のコンディション・・」とか「え?今の発言、そりゃマズいよね?」

みたいな・・。そういうのを言ったらそれはファンでは無いのかなぁ?

「そんなことないよ!」

と私の周りは言ってくれると思うのだけれど、現実的にそうした発言が叩かれたり、

「ファンなのになんでそういうこと言うのか」みたいな空気をですね、めちゃめちゃ感じるのです。

 

酸素が薄いっす・・なんか濃密なの。

熱烈なファンの皆さんが活動を支え、ここまで色んなグループを大きくしてきたのは百も承知なのだけれど、数秒のワイドショーを録ることや、発言の一言一言に意味を持たせようとしたり、仲が良いとか悪いとか騒いでみたり・・・そうしたことに疲れてきちゃったのです。

 

そういう観点からみると、すべてを把握したい、言葉の真意を感じたい、好きな人の何もかもを取り込もうとするファンのパワーを受け止めてるアイドルってスゴイよね。

 

私もひとつだけ買ってしまったことがあるから言えたものでもないけど、私物を特定されては真似をして買われたり、発言のひとつひとつを拾われて……。

ちょっと自分に置き換えてみてくださいよ・・普通に引きますよね?

いやそれが芸能人として、人気商売してる人の宿命って言ってしまえばそれまでで、

そして私はどちらかというとそういうものを割り切って受け入れて「ビジネス」として成立させてる人が好きだったんです。

 

ファンの皆さんの異論はおありだと思うのですが、私にとって中丸君はそういう感じでした。線引きが明確で意図してやってるとこが見えやすいというか・・。

「あぁ、これ絶対荒れるとわかってても投げた意見なんだなぁ」と思うこともありましたし、それでもそれを投げるのね?ということも含めて好きでした。

中丸君からは真面目さと計画性と、計算高さと、でも自分を曲げない頑固さと、ファンのことは考えるけどファン個人には感情を持ってかれないブレなささみたいなのを感じてて、とても居心地が良かったのです。

ファンにとやかく言われようが、そこに鉄壁のガードを持っていて、なんというか私自身のスタンスを変えずに好きでいられるアイドルでした。

私はTwitterのプロフに「中丸君『で』遊びたい」と書いてましたが、まさにそんな日々で、でもなんだか最近はそれができてなくて・・。

 

なんというかアイドルの皆さんが、ファンに捧げてる時間だったり、無理する気持ちだったり、正しさだったりがないとダメな空気と言いますか、そこに重きが置かれてる空気がある。そういうものを感じてなんだか辛くなってきてしまったんですよね。

 

「こうであって欲しい」という想いはね、享受する側のファンが持つのは当然だと思うし、発言の解釈をそれぞれが展開する権利はあると思うのです。それ見るのにお金払ったりしてるしね。

でもそれを使って他者を攻撃することは違うと思うし、まして対象に返すのは違うのではないかと思うのです。

 

機嫌が良い日もあれば悪い日もあるし、ポジティブな日もネガティブな日もあるじゃないですか、朝起きて歯を磨こうとしたら歯磨き粉が切れてたってだけで機嫌悪くなったりするのが人間じゃないですか・・。

だからその人の発した、その日の一言が「その人の全部」であるかのように攻撃したり悲しんだり反論するのはしんどいなぁと思うのです。

私は人間関係って最終的に「想像力」がすべてだと思ってて。自分自身のことをまるっと相手に伝えることってできないと普段から思うのだけれど、「察して」欲しいという願望はありますよね?

「察する」力って「想像力」なんだと思うんです。でね、その想像力の根本にあるのが「優しさ」であって欲しいなぁって思う。

なんでも悪い方に想像するんじなゃなく、優しさを持って想像したい。

そうして適度な距離感とゆるさを持ったままファンでいたい。

なんつーか、あれですよ。

港で待つ奥さんみたいな気持ちで、ひろーい海を泳いできてもらおうぜ!みたいな。

ほっといて欲しい時はほっといてあげて、構って欲しい騒いで欲しい時は、「ハイハイ、盛り上げたいのね・・」と盛り上がってあげるそんな母なるファンが良いのではないかと。適度な距離感とアイドルから影響を受け過ぎない日々。健全なヲタ生活。

でね、なんとなく中丸君に関しては私自身はそんなファンでいられた気がするのです。

 

でも、いま Kinkiの沼というより堂本剛的世界に足を踏み入れてしまって、正直にっちもさっちもいかなくなっております。

 

今まで私が心地よいと感じてきた境界線や距離感が保てない。

観るもの、読むものその色々から受ける影響が大きすぎて、感情が引きずられる。

それは私が楽で心地よいと感じてた「ビジネス」の匂いがしないからなのだろうなぁ。

「ファンに嘘をつかない」という生き方への尊敬と、そうした生き方を選べるまっすぐさへの憧れや怖さ、そして自分はそうは生きてないし生きれないかもという自己嫌悪。

ものすごく近くに感じることもあるし、ものすごく遠いとこにも感じる。

何万人ものファンを抱えているのに、隣で話を聞いてくれそうで、でも人と人は永遠にわかりあえない一線があってでもそれは悲しいけど美しいことなんだよなぁ、というような気持ちになる。

 

私はドキュメンタリー映画が好きなのだけれど、そうしたものを見た時と同じ感じがずっと続いてて、シーンと冷えた空気みたいで気持ち良いけれど、キツイ。

基盤となる自分の生活をもって、プラスαの楽しみとして、趣味として楽しむものであったはずが、そこを超えてきてるんだよね・・。

そしてそんな存在は稀有だから突き進みたい気持ちと、これ以上影響を受けたくないという二つの気持ち。難しい。

「剛くん『で』遊びたい」というスタイルを貫き通せない。

そう、気付けば私自身がなんだか重いファンに・・。

 

ファンからの「愛」を受け取って、まっすぐにファンにみんなに「愛」を届けようとしてくれることを思うと、それは素敵な関係なのだけれど、何かによって自分の「在り方」を変えることが基本なかった私にとって一大事ですよ。

 

そんなことを思いながら、そして自分がどこに向かうのかわからないまま、今日もDVDを観てそしてその言葉からなにかを感じ取ろうと思います。

果たしてこの到着点はどこになるのか…。

すべてを見終わって、なにかが見えたらまたツラツラと自分の備忘録としてここに書くかな…(日記か…)と思ってます。

 

 

「TU-FUNK」を観てしまった。

2018年も12分の1が終わりましたね。

皆様はいかがお過ごしでしょうか?

 

あ。ブログタイトルを変えました。

旧名の「サザンファンがKAT-TUN沼に堕ちてみた」、気付いたらサザンの話はもちろんのこと、KAT-TUNの話も最近してなく最早KinKiさんの話ばかり・・。

こりゃ変えないわけにいかんでしょ、ブログタイトル・・。というわけで、新しい名前でもヨロシクです。

 

ところで私は元旦をKinKiさんで迎えてから、ズッポリドップリあちらの世界におります。

まさに久々の寝ても覚めても状態でして・・・。

 

過去の本を読んですっぽり闇に取り込まれそうになってみたり、最初は楽しく見ていた過去動画の女子ゲストの回に嫉妬に似た気持ちに陥り観れなくなるという40歳にしてまさかのリア恋枠(しかも過去動画に対しての)に転がり堕ちてみたり、まぁ本当に色々感情が忙しい日々でございました。

 

しかし今ですね今日届いたばかりの「TU-FUNK TOUR2015」を観てまして(そう現在進行形で見ております)

 

ちょっと自分の気持ちの居場所、見つけた感じある。

 

私、この堂本剛さんがとても好き。

音楽が大好きで、音楽仲間に愛されて、音楽そのものに愛されてる。

 

楽しくて、気持ちよくてどうしようもないという空気に満ち溢れているよね。

言葉にできないけど、ものすごく気持ちよい!

 

そして何よりもこの音楽の感じがとても私には心地良い。

 

ジャニーズというものにハマらずに来た私が、無表情にダンスを踊る中丸君にハマって早2年。

それはそれでとても楽しかったし、KAT-TUNそのもののコンサートは無かったけどソロコンやソロ舞台も初めて触れる文化ですごく楽しかったのだけれど、どうしても馴染めない文化もありまして・・。

それが団扇とペンライト・・・特に団扇を胸から上げてはならぬという規則・・。

 

音楽を聴くのに制約は正直きつかった。

声出したいときは出すし、手を上げたいときは高く手を上げたいのである。強制はされたくないし、制限もされたくない、みたいな気持ち。

音楽を、その空気を、楽しみたい。

観客にだってこみあげてどうしようもない、そんな気持ちもある。そんな音楽が好き。

 

いまDVDを観てて「あぁこの空間は気持ち良いなぁ」と心底思う。

いいんだ、私、音楽が聴ければ歌ってる顔が見れなくても。だってサザン育ちだもの。双眼鏡持っている人いない世界で生きて来たの。

 

顔はね、DVDになったら見るぜ!

つーか見れなくても後悔はなし!

クラップしたり、手を上げるのが、音楽を受け取る側にできる最大限の参加だと思ってるから、このライヴに参加したかったなぁと心から思ってしまった。

 

もちろんね2人でのコンサートはすごく素敵で、それはそれでとても愛しいのだけれど、剛さんも光一さんもソロがあってのKinKiさんなのだなぁと無性に思ってしまった。

 

うん。私、色々含めてKinKiさんが好き。

長く愛せるものに出逢ったしまった予感がある。

ゆるく、長く愛していきたいよね。

 

いまはまだこういうコンサートは望めないのかもしれないけど、それでも大丈夫。音楽を愛している人はどんな形でもその愛をきっと届けてくれるから。そしてその術をきっとどこからか授かって新しい世界を見せてくれると思うの。

 

広く色んな層に、新しい2人がまた深く愛されていきますように。そう願う朝6時です。

 

とりあえず初見の興奮を最後において寝ます。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

全部好きは、一番ヤバい。(どこまで深いの、KinKi沼・・。)

1月も半ばとなり、オイオイいつまで正月気分でいるんだい?と言われる時期になりましたが、

 

私はまだ元旦にいます。

 

いや、知っていますよ。世間はきちんと時を刻んでるってことくらい・・。

でもKinKiさんのファンの皆さん、まだまだ皆さん年末年始に自分置いてきてますよね・・??

鏡開きってなに?

まだお節食べてるんですけどって感じですよね?

 

想像以上に足をとられてまったく前に進めない・・。

いや、とられたのは足ではなく、「心」かな・・。うん。

 

この2週間ほど買わせて頂いたKinKiさんのDVDやCDが続々と届いてるのですが、

まだ実は、2枚しか観てないです。

ベストの特典DVDも、最新DVDもまだ観てない・・いや観れてない・・。

物理的に忙しくて観れてないとかでなく、気持ちがね渋滞しておりまして・・。

 

もうね、「好き」が渋滞。

 

2枚のDVDを繰り返し観て、それだけで「ハァァーーー・・・」となる感じです。

本当はどんどん観たい欲求もあるのですよ。

でもなんというか自分で自分に「焦らしプレイ」状態です、ハイ。

 

こんなにドキドキして、DVD終わりがくるのが切なくて、没頭できる時間をサラッと流し見なんてしてはもったいない・・。

もったいないお化け、出る。

 

というわけで1本のDVDを結構大事に大事に観てます♡

でももうすぐ大画面でDVD見る予定入れてるので、そこで一気にすすんでしまうかも・・大画面の誘惑には勝てない可能性大ですもんね!

 

 

ところで自分、中丸君のくるぶし担でして。(唐突)

KAT-TUN沼に来た頃からこれは言ってるので、けっこうブレずに「くるぶし好き」だったんですね。

あとは後頭部の丸みとか、手の動きとか、中丸君に関しては色々と好きな部位があって。いろんなところがツボなんです。

だから画像を集めるのがすごく楽しくて楽しくて、夜な夜な画像集めにネット内を這いずりまわって過ごしてました。

 

しかしいまのところ、剛くんの

 

「ココが好き!!!!」

 

が見つからない。

 

アレ?なんでだろう・・?

と思いました。でね、気付いた。

私・・・、

 

画像、直視できていない。

 

 

無理です。

2秒以上同じ画像見てられない。破壊力があり過ぎる・・。

2秒以上見てたら息止まる。

なんというか呼び起こされる想いが多すぎて、軽く感情がフリーズ。

 

「カッコいい、うん。カッコイイ・・。」

 

それしか言葉を発せず、そっと次の画像に移る。

防御必要。

 

もう崖から転げ堕ちるの目に見えてるから、自己制御。

アブナイ・・これ以上の画像摂取はアブナイ・・・。

 

そうだ!ここは動画・・色んなゲストが来る例の動画を流し見しよう・・。

風呂で動画を開き、気付けば2時間経過。くしゃみで我に還る。

追い炊きできない冬の風呂、2時間は危険行為、風邪をひく。

 

えぇ・・。動画も恐ろしいですね。

「次の動画を自動再生」なんていう恐ろしい機能のせいで、無尽蔵に湧き出る動画が私をパラレルワールドに連れ去るようで、最近3時間睡眠しかしてないです。

 

たぶん時は元旦で止まってるのに、三歳ほどわたし老けた気がします。

 

あれですか、KinKiさんはファンの養分吸い取ってキラキラ輝く妖魔でしょうか・・。

だからあれほど美しいのでしょうか・・。

 

でも心は満たされる。うん。満たされてる・・。

怖いですねーー。

 

本当はね、そろそろ「KinKiさんのココが好き!」をしたかったんです。

好きをたくさん書いてるブログが私は好きだけど、どっちかというと好きの理由をきちんと解説したり、「ここを見たらアナタも好きになるかもよ!」的な、沼の入門書を兼ねたブログが好きなんですよ。

 

けれど、いまの私にはムリ。

とりあえず言えるのは、声・顔・喋り方・考え方・身体・髪型・吐息、、、

静止画で見ても、動画で見ても、歌を聴いても、文字で読んでも、、、

好き。

 

それって・・・

「全部、好き」

じゃん・・・。

 

ヤバいです、逃げ場なし。これはヤバい。

 

確実に拗らせるやつ・・。

寝れずにポエマーに変身しちゃうやつ。

雨の日は窓から外眺めながら、紅茶飲みたくなっちゃうやつ・・。

 

あれ・・。元旦のこと書いたブログと言ってること変わらないじゃん、自分。

語彙力を完璧に奪われて、これから好きと呟き続けるのか・・・。

恐ろしい・・。

 

なんとか冷静に、沼の淵に立つ未来の仲間に気持ち悪いと思われないブログを次は書きたいです・・。

 

ちなみにいま、下書きには「剛くんの歌声からは、色が見える」ということを冷静に書くつもりが、ただのポエムになったものが眠ってます。

とりあえず一通りのDVD観て冷静になれることを願いつつ、今日も3時間睡眠突き進みます。

 

次までに3歳老けませんように・・。

 

 

追記:本日無事に七時間の鑑賞会をしてきましたが、結局私を立ち止まらせてる2枚をメインで観てしまい…。

あ、partyは観ました!

今週もう一回七時間鑑賞会あるので、もう一歩前進予定……。